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ヴィクトリア朝のメイドに関するあれこれ


はじめに

メイド……それもヴィクトリア朝のメイドというのは非常に人気のあるテーマだ。今回の記事ではメイドを解説していきたい。軽く読めるあっさりした内容なので雑学集として気軽に読んでくださいね。なお、ここであげた事例はあくまで「一例」であり、すべてのケースに当てはまるものではない……のはご容赦願いたい。主に「ヴィクトリア朝あたりのメイド」という大きなくくりの大雑把な話だと思っていただけると幸いである。

※この記事は有料設定ですが、全部無料で読めます。読んで面白いな、と思ってくれた方は投げ銭感覚で購入してくれると助かりますm(_ _)m

ヴィクトリア朝時代の概要とその期間

イギリスにおけるヴィクトリア朝時代は、1837 年から 1901 年までのヴィクトリア女王の統治時代を指す。この時代は、社会的、経済的な大きな変化と、大英帝国の拡大が特徴的であった。

この時期には急速な工業化が起こり、イギリスは農村の農業社会から都市の工業社会へと変貌した。鉄道システムや新しい製造プロセスなどの革新は輸送と生産に革命をもたらした。科学、文学、芸術の進歩とともに、文化的、知的に大きな成果をもたらした時代だった。


リバプールにあるセント・ジョージ・ホール。今でも健在で、当時の大英帝国の繁栄を象徴している。

例えば、文学では英国史上最高の小説『デイヴィッド・コパフィールド』のチャールズ・ディケンズ、科学では『進化論』のチャールズ・ダーウィン、さらに工業ではヘンリー・ベッセマーの「ベッセマー製鋼法」による鋼の大量生産システム。このように、大英帝国は凄まじい発展を遂げていた。

けれどもこの時代は社会格差が顕著だった。中流階級と上流階級が繁栄する一方で、多くの労働者階級の人々は貧しい生活を送っていた。急速な都市化により都市は過密化し、生活環境が悪化した。これらの大問題に対処し得るため、労働環境改善と公衆衛生改革が促された。

メイドの定義とその社会的重要性

メイドとは、伝統的に、「家庭の維持を主な職務とする女性の家事労働者」と定義されている。

メイドがヴィクトリア朝で積極的に雇用されたのは4つの理由がある。

1.屋内で働く男性の使用人には税金が課せられ、賃金水準もかなり高かった。女性の使用人、つまりメイドは賃金が安く、また一般的に支配しやすく、管理のしやすさがあった。

2.家事労働は、特に貧しい下層階級出身の女性にとって、数少ない雇用機会の一つであった。住み込みの家事労働は、女性に部屋と食事を提供した。これは他の生活手段を持たない多くの女性にとって非常に重要であった。

3.産業革命により裕福な中流階級が台頭し、彼らは貴族のように使用人を雇うことで、その豊かさを誇示しようとした。この新しい階級は、使用人を雇う資産を持っており、それはステータスシンボルでもあったし、ますます多様化する家族のライフスタイルを維持するために家事労働の外注は必要不可欠なものだった。

4.これは古典的理由であるが、上流階級の家庭は規模が大きいため、維持するにはかなりの労力が必要だった。仕事には掃除、料理、育児、その他の家事が含まれており、裕福な家庭では大勢のスタッフが必要だった。中流階級の比較的小規模な家庭ではメイドが1人だけでよかった例もあるが、その場合はしばしばメイドは過重労働となった。

これらの理由により、イギリスではメイドの雇用が流行したのである。


我々が思い浮かべるイギリスのお屋敷(カントリーハウス)は中世の荘園にルーツを持つ。貴族やジェントリ(地主階級)が建設した大規模な邸宅であり、今でもイギリスの郊外や農村地帯に(ときには観光用として)残されている。

メイドは下層階級の出身で、上流階級の家庭に彼女らメイドがいることで、(かなりの制限があったものの)、異なる社会階級が日常的に交流するという独特の力学が生まれたというのは重要だった。

また、これらの家事労働の普及により、多くの労働者階級の女性に雇用機会が提供され、経済と社会的流動性に貢献したのも、人類史には大きな一歩であった。

しかし、彼女らは大抵の場合、雇用主から搾取されていたのは明言しておかねばなるまい。


メイドの大まかな序列

メイドの中にも色々と序列があり、待遇などは大違いだった。地域と時代によってこれらの「階級」は異なるが、ここではおおまかに区切って有名なものを説明したい。

実際の区分はもっと複雑であるし、男性使用人については省いている。例えば、男性の使用人の中でも料理長は地位が高く独自の地位だった。

あくまでメイドについて非常に大雑把に解説しますが、大雑把すぎて理解しづらかったり・誤っていたら申し訳ないです……。扱ってない区分のメイド(パーラーメイド等)もたくさんいます。


上級使用人

全メイドのトップ、ハウスキーパーは最も高給の女性使用人で、家庭の日常業務全般と女性使用人の規律に責任を負っていた。しかし例外もあり、例えば家庭教師や下記のレディースメイドなどはハウスキーパーの直接的な管轄下に入るのを嫌がる傾向にあり、雇用主の家族とのつながりのほうが強かった。このように家庭のすべてを完全掌握していたわけではない。

エドワード朝のハウスキーパー

中級使用人


レディースメイドは女性雇用者の個人的な召使いで、特に衣服の管理や身だしなみの世話を担当していた。彼女らレディースメイドの地位は、家事使用人の中でも比較的高いものだった。

レディースメイドは、レディーズコンパニオンと呼ばれた、「身分の高い女性や裕福な女性と一緒に住み、付き添いとしての役割を果たす、自身もまた上流階級の女性」とは流石に扱いが異なる。しかし、相対的に下級の使用人より恵まれており、食事と宿泊の提供、旅行の機会、より高い社会的地位などの特典を享受していた。通常、先述のハウスキーパーではなく主人の女性と直接やり取りし、親密で信頼関係のある関係を築いていた。

貴婦人の髪をとくレディースメイド

下級使用人


メイドの序列で最も下層に位置するのがこの下級使用人である。この下級使用人は「階下の人々」と呼ばれる、家の裏方エリアで働く立場であることが多い。キッチンメイドと呼ばれたメイドたちは、その名の通りキッチンで働き、キッチンの運営を補助し、食材の準備や調理作業を手伝った。経験豊富なキッチンメイドはキッチン内で尊敬され、副料理人として働くこともあった。キッチンメイドはこのように序列は下だが、料理スキルを学ぶ機会があり、経験を積むことで、副料理人や料理人に昇進する可能性があったため、キャリアアップの機会もあった。


調理するキッチンメイド


キッチンメイドの下にはスカラリーメイドという序列が最下層のメイドもいた。スカラリー(scullery) という単語の語源は、1300年から1350年頃のフランス語の「escuelerie」、食器を洗う部門という意味である。彼女らの仕事は床、ストーブ、シンク、鍋、皿の掃除とそれらの磨き。野菜の洗浄、鳥の羽むしり、魚のうろこ取りの補助。台所や家庭で使用するための湯の提供。肉や野菜のゴミの片付け。作業台の掃除と床の洗浄…等々、本当に雑用であった。スカラリーメイドはキッチンメイドのように一応キャリアアップの機会が与えられてはいた、という資料もあれば、使い潰されて終わりという資料もある。いずれにしろ彼女らの勤労は過酷であり、使用人の中でも最も体力を要する仕事であった。

食器や鍋を洗うスカラリーメイド


キッチンメイドもスカラリーメイドも、キッチンで食事を取った。彼女らは完全に裏方であった。まさに「階下の人々」である。彼女らは主に地下や別棟にある使用人専用のエリアで生活したので、「階上の人々」とは交流がない、見えない存在だった。

※ハウスメイドという「我々が一般に思い浮かべる、雑務全般を行うメイドさん」もいたが、資料によって扱いが大きく異なるためここのメイドの序列には載せなかった。実際、「雑務」の範囲は非常に広く多岐にわたったので定義や位置づけが各学者によって異なるのだろう。またこのハウスメイドも雇用されている人数によって職務が細分化されたり、一人ですべてを担ったりしていた。詳しく知っている方はTwitterアカウントまで情報をお寄せください……。


あるお屋敷での使用人の一日のスケジュール

あるお屋敷での19世紀の使用人たちの一日のスケジュールを紹介する。これは典型的なものだが、各家庭でスケジュールは全く異なることも多々あった。なので、あくまで「例の一つ」と捉えてもらいたい。

午前6時~7時頃

一日が始まる。朝6時に、スカラリーメイドがキッチンを開け、掃除して火をつけ、石炭バケツに石炭を入れる。キッチン、料理長の個室、食料貯蔵庫を掃除し、引き出し、テーブル、まな板を磨く。週に少なくとも 2 回は、砂で床を研磨する。キッチンメイドも同時に起きて、掃除を手伝い、その日に必要な食材や調理器具をすべて用意し、使用人たちの朝食作りに取り掛かる。

ハウスメイドたちは主室の鎧戸を開け、家の居間に炭を運ぶ。必要に応じて、自分の服と主人の服をブラシで磨いたり、ブーツやナイフ、執事の食器棚を掃除する。ランプ(灯り)の準備を整える。その後、清潔なエプロンに着替え、雇用主の朝食のためにテーブルを拭いたりする。

その後、暖炉を掃除する。これは骨の折れる仕事で、暖炉の灰をかき集めて灰を捨て、火を点け、炉床を洗い、石炭の入ったバケツを廊下に出した。週に少なくとも2回、メイドはカーペットをブラッシングし、さらにひっくり返して下にある木の床を掃く。ほこりを集めるだけでなく、イヤリングなどの貴重品が落ちていないか確認することも重要だった。その後、舞い上がったほこりが落ち着くまで部屋を閉める。これを音楽室や居間でも繰り返す。ほこりが収まった後、メイドはその部屋に戻り、家具を雑巾で磨いて艶出しをした。


イギリスのお屋敷の各部屋には暖炉があるのが通例だった。お屋敷の暖炉は豪奢な作りのものが多かった。

午前8時~9時頃

8時になると、料理人たちはキッチンに入り、キッチンと洗い場、スタッフの手、髪、制服の清潔さをチェックする。また、火と調理器具の状態もチェックする。

一方、キッチンメイドは朝食を使用人のホールと執事室に運び、そこで料理長を含む「階上」の使用人たちが食事を摂る。残りのキッチン関係の「階下」の使用人はキッチンで食事を摂り、その後、スカラリーメイドが朝食の食器を洗う。

朝の仕事を終えると、ハウスメイドは手を洗い、灰色の作業用エプロンから清潔な白いエプロンに着替える。彼女は雇用主の家族やその客人を起こす。その後、彼女は各寝室の洗面台に熱いお湯を持って行き、自分の朝食を食べる。


典型的な洗い場の様子

午前10時~11時頃

料理長は敷地内の菜園や農場で採れた農産物をチェックし、庭師や肉屋と話し合い、その日の肉の重さを量って確認する。彼はハウスキーパーと食料について相談し、通常は前日にメニューを計画する。他の料理関係者のために、その日のメニューを石板に書き出す。

その後、下級使用人たちは野菜を洗ったり、切ったり、狩猟した鳥や家禽の羽をむしったりする。料理人たちはスープを作り始める。

2階では、男性使用人(フットマン)が朝食の皿を運ぶ。雇用主の家族が朝食をとる間、フットマンは家族が食べ終わるまで待ってから朝食を片付け、テーブルクロスをたたみ、パンくずを掃き、火をおこし、暖炉を掃除する。フットマンは階下のすべての部屋の火を確認し、喫煙室を片付ける。その後、寝室の燭台を含む銀食器を掃除して磨き、夜の準備を整える。

家族や客人が朝食を食べている間に、ハウスメイドは各寝室に行き、窓を開け、洗面台や便器を「空」にする。彼女はタオルを交換し、部屋やベッドを掃除し、羽毛枕をたたいてベッドメイキングをする。ある日(通常は土曜日)には、すべてのベッドリネンを交換し、汚れたリネンを回収する。

午前11時~午後1時頃

料理長は計画したメニューを2階に持って行き、雇用主と相談する。その間、キッチン関係者全員が午前11時に飲み物のみの昼食をとる。料理人たちは雇用主家族の昼食を用意し、家族の夕食用にゼリー、クリーム、ペストリーなどを作っておく。

午後1時~3時頃

料理人とメイドは協力して雇用主家族の昼食を運ぶ。キッチンメイドは階上の使用人の食事を運ぶ。階下のキッチンスタッフ全員がキッチンで短時間の休憩(数分~十数分程度しかなかったという)をし、その後料理長が家族の夕食の準備と調理を開始。キッチンメイドが串焼き、野菜の調理、肉の煮込みを手伝う。スカラリーメイドは、使った鍋や串も含めてすべて洗い、砂と水でこすり、すすぎ、タオルで拭いてから、錆びないように火の前で完全に乾かす。また生ゴミの廃棄も行う。


ヴィクトリア朝時代の人々は非常に活動的だったため、我々よりもはるかに多くのカロリーを摂取していた。然れども肥満のイギリス人は比較的稀だった。果物、全粒穀物、魚、赤身の肉、野菜を多く含む「健康的な」食生活を、恵まれた人々は享受できた。一方、労働者階級の食事はひどいものであった。



家族が昼食をとっている間、階上のメイドはすべての部屋の火を点検し(火事は非常に恐ろしいのでこのように何度も確認した)、花瓶の花から枯れた花を取り除いたりする。また、ハウスキーパーがリネンを仕分けるのを手伝ったり、自分のものも含め衣服を縫ったり修繕したりする。

午後4~6時頃

フットマンはこの時間は暇で、ホールや部屋の番をする。家族のアフタヌーンティーが終わった後、フットマンは食器を片付ける。午後5時には使用人全員が紅茶を飲むが、これはスティルルーム(蒸留室)のメイド (飲み物やジャムを作るスティルルームで働く女性の使用人) が淹れてサーブする。


スティルルーム(蒸留室)はジャムやリキュールを準備したり、朝食やお茶用のトレイを並べたりするために使用されていた。

紅茶を飲んだ後、フットマンは居間のランプに火をつけ、鎧戸を閉め、カーテンを引く。フットマンは執事の手伝いで家族の食卓を準備する。伝統に従って、最初のフットマンが銀食器を運び、2番目が陶磁器を運び、最後に執事がグラスを置く。来客が予想される場合は、フットマンの1人がホールの番をする。

午後7時~9時頃

キッチンスタッフ全員が、雇用主家族の夕食を準備する。キッチンメイドとスカラリーメイドはキッチンを掃除し、汚れたリネンを整理する。

午後8時頃になると、フットマンは雇用主家族に夕食が提供される15 分前にベルを鳴らし、食事が運ばれてくるともう一度鳴らす。フットマンはキッチンから夕食を運び、食卓で待機する。

夕食が準備できたという旨のベルが鳴ると、ハウスメイドは雇用主家族の夕食の間、家族たちの各寝室に行き、ベッドを再び整理し、暖炉の火や洗面台を確認し、ゴミや残飯を捨てる。

午後9時頃

キッチンメイドは使用人たちの夕食を準備して提供し、その後キッチンスタッフはキッチンで自分たちの夕食をとる。フットマンは、客人が屋敷から帰る間、ホールで待機する。

午後10時頃

長い一日の終わりだ。ハウスメイドたちは、必要に応じて雇用主家族に夜食を出し、家族が就寝したいときには燭台を渡し、湯たんぽを持って行く。また、執事の手伝いで家の戸締まりとドアの施錠を行う。その間にキッチンメイドは火の安全を確認し、キッチンを閉める。

そして、使用人たちは就寝する……。午前6時~午後10時までの長時間労働である。しかもこれがほぼ毎日続くのだ。本当にお疲れ様でした……。


使用人の寝室は屋根裏にあることが多かったという。この時代、男女は完全分離が望ましいとされており、家族である場合などを除き、男女で部屋や生活空間が完全に分かれているのが理想だった。もっとも、それらが100%達成できていたかは別である。


メイドの給与

メイドの年収は雇用主の経済状況やメイドの序列によって大きく左右されるが、19世紀には概ね6ポンドから12 ポンドだったという。なお男性使用人の場合は25ポンドほどだったという資料がある。

シャーロック・ホームズシリーズに「普通、年に60ポンドもあれば、独身の女性ならずいぶんゆとりのある生活ができますからね」というセリフが登場する(『花婿の正体(1891年)』)。このシーンでは年収60ポンドはさすがに過度に贅沢し過ぎである、という旨の会話がなされているので、実際は年収30~40ポンド程度あれば十分な生活はできたのではないだろうか?(なお当時のイギリスの物価変動は非常に鈍かった)

いずれにしろ年収6~12ポンドではまともな暮らしは厳しい。住み込みで家賃と食事が免除されるからなんとかなっただろうが、家事使用人はブラック労働だった面があった。

メイドの福利厚生

メイド含む家事使用人の福利厚生は「工場や鉱山などに比べれば」マシだった、とされる。ほとんどの使用人は働く家庭に住み込みで、住居と食事が提供された。勤勉なメイドは、より責任のある地位と身分を得られるハウスキーパーなどの上位の職位に昇進する可能性もあった。

なにより、確かに先述のようにブラック労働ではあったが、当時の労災対策なんてあまり考えていない工場等の物理的に危険な仕事と比べて、家事使用人の仕事を好ましいと考えていた人々が数多くいたのだ。

鉱山労働者は非常に危険な仕事でしばしば死者が発生した。賃金は比較的高かったというが、罰金制度があり、しばしば些細なことで賃金を減らされた。更にろうそくやランプ、場合によってはツルハシも自分で購入しなければならなかった。賃金の多くはトークン(要するに『カイジ』の地下帝国のペリカである)で支払われ、鉱山所有者が作った店でしか使用できず、資本家はそこで高値の食品や生活必需品を売ることで大儲けしていた。それに比べれば家事使用人は幾分か「マシ」だった。



使用人は通常、年に2週間の休暇、日曜日の半日休み、週1回の夜間外出、月1回の休日が与えられていた。一部の使用人は雇用主と一緒に旅行する機会もあった。

特定の職には追加の「特典」もあった。
レディースメイドは主人の着古した衣服をもらえることがあった。料理関係のメイドは時々、キッチンの油を売って追加収入を得ていた。

メイドたちの仕事は、下層階級の中で年金の希望がある数少ない職業の一つであった。雇用主は長年勤めた使用人に退職時に年金を与えることがあったたのだ。額は状況によって大きく異なるが、いずれにしろ年金をもらえる可能性があるだけで当時としては非常に魅力的だった。

さらに、メイドたちは、ドレスメイキング、ヘアドレッシング、布地の手入れ、料理の知識などの転職に役立つ貴重なスキルを学ぶこともできた。

これらの利点を鑑みると、当時の厳しい労働環境の中では、メイドや家事使用人の福利厚生は比較的良かったと言っていいだろう。繰り返すが、給与は低く長時間労働であるが……。

メイドの雇用状況

19世紀末、イギリスの労働力の16%が使用人だった。1891年には、全国で 100万人以上、つまり若い女性の3人に1人が使用人として働いていたと推定されている。

この状況と関連して、1899年の『大都市における女性労働に関する調査』と題する報告書によると、多くの若い女性が、家事労働を約束して偽って誘い込まれた斡旋業者の犠牲になっているという。彼女らは結局はロンドン中心部のグレート・ティッチフィールド・ストリートなどにある、数多くある売春宿で働くことを強いられた。特に狙われたのは、田舎や海外から都市部にやってくる大勢の若くて世間知らずの少女たちで、彼女たちは売春宿の経営者が雇った斡旋業者の餌食になることが多かった。


19世紀イギリスの都市部や港では売春が横行していた。彼女らは男性との性行為でお金を稼いでいた。根拠のある医学的・科学的な性病予防がまだ徹底されていない時代のため、性病感染は深刻な状態だったという。幸運な売春婦は転職のための資金を貯めるために数年働き、足を洗えることもあった。例えばコーヒーハウスを開くために売春をし、見事店を開いた女性の話が残っている。しかし、性病にかかり、悲惨な末路を送った人も多かった。

メイドは人気がある職業だったからこそ、かかる詐欺の状況になったわけであるが、なんだか現代でも似た話を聞くことがありますねぇ……。「未経験者歓迎のIT企業とSES」を思い浮かべました。

メイドの服装

メイドの服(メイド服)は女中としての地位を示したり、家族や客から区別するための制服として機能した。メイド服はメイドが買い取って(口が悪い人が言うならば「買わされて」)着用していることも多かった。

各種条件やお屋敷によってメイド服の細部は大きく異なるが、基本的には
・黒いドレス
・白いエプロン
・頭に小さな白い帽子
というものだった。繰り返すが、場合によって細部は異なる。例えば、暑い夏には薄手の綿記事のドレスが好まれたという。

メイドその1


メイドその2



服装は仕事に適していると同時に、見栄えも良くなければならなかった。メイドは朝の重労働のために汚れてもいい用のエプロンも持っていた。

これは男性使用人の例だが、メイドたちは朝の汚れやすい重労働の際にはこのようなエプロンを着用することもあった(各お屋敷や時代により、デザインが大きく異なるため、一例である)


メイドの性的被害

日本の成人漫画ではメイドはしばしば主人から性的被害に合っているが、あれはある意味正しい。

メイドの虐待は日常茶飯事で、若いメイドは特に性的搾取の対象になりやすかった。ヴィクトリア朝ではないが、1740年、メアリー・ブランチとその母親はメイドの少女を殴り殺した罪で処刑され、絞首台で彼女らは使用人全員を「奴隷」と​​みなしていたことを認めた。

特に、鍵付きの個室がないお屋敷で働く場合のメイドたちは、雇用主家族の男性からの望まない接近に晒されていた。更に雇用関係の都合上、メイドは雇用主の家族に逆らうことができなかった。当時、「雇用主からの推薦状」は就職や転職に強い力があり、なんとしても波風を立てずに働き、これを得たかったという事情もある。(この推薦状が得られず、転職できずに路上での売春を行う結末になった元メイドの話もある。)

悲しいことに、若いメイドは、雇用主からの性的暴力で私生児を出産することもあり、そのため法律で厳しく罰せられ、時には死刑になることもあった。彼女たちは絶望と動揺のあまり、生まれたばかりの赤ん坊をトイレやゴミ捨て場に捨ててしまうことも例も存在した。それが発覚すると、男性の裁判官や陪審員によって裁かれた。情状酌量などで慈悲深く扱われた人もいたが、嬰児殺しと遺棄で絞首刑に処せられた人もいた。


裁判記録、当時の新聞記事、または同様の出版物を少し調べるだけでも、当時は男性によって、男性からの暴力が(メイドだけでなく)女性全体へ日常的に振るわれていたかがはっきりとわかる。


かつてのイギリスでは女性は「二級市民」とさえ見做されており、非常に扱いが悪かった。家庭内暴力は禁止されてはいたが、特に労働者階級では一般的なものだった。驚くべきことに、こうした暴力行為を犯した男性は、多くの場合、「加害男性は、被害女性に挑発されたから行った」と裁判所によって判断され、刑罰は軽くなるのが常だった。

賄賂や汚職に手を染める無能で素人で、ほとんど責任を負わない法執行官。何らかの方法で生計を立てるために法律をかいくぐろうとする脱法行為。無学なために、記録が無作為に不完全になっていたこと。出産中の女性の早死の頻度。乳児の死亡率の高さ……などなど。かかるすべての要因が各犯罪行為、果てには殺人までもを覆い隠し、隠蔽するのに役立っていた。

おわりに

メイドは現代の創作で1,2を争うほどの人気がある職業だが、その実非常に過酷な労働という面があった。純粋に家事労働の大変さもあったし、雇用主家族からの暴力や性的被害にも怯えていた。私もメイドモノで自慰したことは数多くあるし、メイドのイラストを描いたこともあるのであまり偉そうな態度は取れない。然れども……ともかく……実際のメイドのことを知ると、それらの創作への理解が深まるのではないだろうか。

この記事のメイドに対する記述はあくまで「一例」である。例えば、現代のシステムエンジニアの働き方が会社や現場や開発言語によって全く異なるように、メイドも状況によって全く異なるケースであることも多い。労働環境や賃金、制服、職務、メイドの序列などなどは一概にこうだ!とは断言できない、繰り返すがあくまで「一例」だと思ってもらいたい。

偉そうに書いておきながらなんか曖昧ですみません……色々と多岐にわたったのでメイドはこうだ!とは確定的に言えないんですよね……。


付記:なぜメイドは創作で人気があるかの個人的推察

・裕福な家族とそれに仕える使用人という構図が創作に活かしやすい。
・ヴィクトリア朝は創作の舞台として人気がある。ヴィクトリア朝を扱う際は(当時の家事使用人の数から言っても)メイドは欠かせない。日本人の持つイギリスへのあこがれも作用する。
・メイドは雇用主と密接に関わり、私生活を垣間見ている。『家政婦は見た!』である。創作に使える。
・様々な階級があるので、メイド内で序列を付けられる。これも創作に活かせる。
・メイドと雇用主の上流階級との禁断のラブロマンスは燃える。しかし実際は望まぬ性的被害などが多かったのは先述の通り。
・メイドのスキルアップによる「昇進」も色々創作で面白い要素となる。
・ヴィクトリア朝の使用人の生活に関する本が多数あり(日本国内にも研究者がいる)、資料も揃っている。
・『ダウントン・アビー』は最高だぜえ!という私みたいな層の存在……みんなダウントン・アビー好きだよね?

参考文献(順不同)


・BBC History Extra(https://www.historyextra.com/)
※このサイトは非常に参考となりました、おすすめです
・ Pamela Sambrook著『The Servants' Story: Managing a Great Country House』
・新井潤美著『執事とメイドの裏表 ─ イギリス文化における使用人のイメージ』
・Northumberland Archives(https://northumberlandarchives.com/)
・The History Press(https://thehistorypress.co.uk/)
・英語版ウィキペディアのメイド関連記事(https://en.wikipedia.org/wiki/Category:Maids)
・Simple
 History(https://simplehistory.co.uk/)

・The Victorian christmas lady(https://victorianchristmaslady.com/?v=24d22e03afb2)

 ・G・M・ヤング著/松村昌家・村岡健次訳『ある時代の肖像 ヴィクトリア朝イングランド』

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