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ピアサポートとリカバリー

皆さんこんにちは。ピアサポートみなとの副代表でイラストレーターの片岡洋子と申します。迷ったり、辛い時に『できる事をひとつひとつ』と唱えながら生きております。
これからいただきましたお時間、私自身が描いた絵とともにお付き合い願います。どうかよろしくお願いいたします。


内容ですが・・以下の7項目
①病気は一面にしかすぎない。
②普段の私・イラストレーターとして
③仲間・ピアサポートとの出会い
④過去の私
⑤過去の私その2
⑥結婚して
⑦仲間達との学び合いにて
でお送り致します。


①.『病気は一面にしかすぎない。』なのに、
病気の中どっぷりハマると、信じられない事に『私の人生は私にしか生きられない。』そんな当たり前のことに気づけなくなります。

②.ここで普段私のお話し致します。ピアサポートの活動の広報活動が縁でクラウドファンディングにて夫や友人や東京の株式会社パパゲーノの方達と2冊の絵本を作成した経験を持ちます。
「個人で挿絵などの依頼を受けてはいるものの、収入がほぼないイラストレーター」だったりします。亡くなられた長精連の元会長山口弘美さんの勧めで全国「Art to You!障がい者芸術世界展 IN SENDAI」に出展し入選したり、他のパラリンアートにて入賞したりしました。
そんな私を理解してくれる夫がおりまして、主婦歴10年です。
2023年9月10日になりますが、フジテレビの「Live News イット!」という全国テレビに、自殺を思い止まった人としてイラストレーターを名乗り実名で出演させて頂いた経験がございます。
私のこれまでの思いを凝縮するFacebookなどのメディア投稿でも、患者としてではなく、すべての方々にピアサポートと学び合いを求めています。なぜなら、皆様がこの時代を生きるピア(仲間)なのだと言う考えからです。ピアサポートみなとの広報活動もイラスト動画を交え随時行なっています。
⚫︎ピアサポートみなとの広報活動Facebook・LINE・X・noteなど
⚫︎メディアにてイラスト自己表現YouTube・TikTok・Instagramなど

③.仲間・ピアサポートとの出会い
ピアサポーター養成講座や障害者の生涯学習活動を長崎大学にて、ピアサポートみなとの仲間達とピアサポーター・ファシリテーターとして5年間学び合いに立ち会ってきました。
以前からWRAPファシリテーターとしての活動を夫や、本日別の分科会にてご登壇なさっている山田さんと共にWRAP定期クラスを行ってきた経験もございます。ですが、たった今の私も学び合いの中で傷つくこともあります。度々ピアカウンセリングを行い思いの整理をいたします。経験から言語化の大切さを学び、思いをSNSでアウトプットして学びに変えています。
これからの人の繋がりはネット環境を必要とするのかもしれません。ですが、WRAPクラスなどの学び合いなどで対面にて素直な考えのシェアを行うと、より心が通じ合い、そして何より思いを言語化する事で『自分だけでない』と言う気づきの連続を生み、それが精神を強くし安定化する事を実感しています。その下地があってこそ、よりネットでの交流も円滑になる様に思います。


④.ここで過去の私は、どんな人間だったかお話させていただきます。自宅が自営業で、実は小学生から電話接客していました。絵が好きで、美大志望でしたが、家庭の事情により薦められた大学は断念しました。
実は人生最初の上司が実の父親でした。事務的なことは母に教わりながら、父の秘書であり、車の運転手であり、荷物持ちでした。ですが、健康管理に無頓着だった父が60歳前後に高血圧が酷く性格がキツくなっていき、家庭内がガタガタな状況になりました。
今では、この油絵のように穏やかな父ですが当時は母が体調を崩しても病院に行かせない鬼の様な人でした。
父自身もついに脳出血で倒れ、私達家族は職を失って、私自身も心労がどんどん重なっていきました。病気になって子供に返った様な父の介助などをしていましたので、友達など人との交流もなくなりました。理解者も無く、ショックな事柄ばかりがおきました。打たれ強いはずだった私でも、自由もお金も元気も無くなっていき、ついに困り果て、しだいに病んでいきました。…私の解釈ですが極端な孤独とストレスからの脳の誤作動の様なものそれが、私にとっての病、統合失調症のはじまりです。

⑤.約20年前の発病当初は、被害妄想が酷く、TVラジオから入って来るニュース情報全てが他人事とは思えなくなり、とてつもなく過敏でした。
被爆2世の私は、戦争に関することにこだわりがありますが、何故か自分のキャラとは真逆のテロリストとして疑われている妄想が起きました。あらゆる言葉が突き刺さる様な嫌がらせに感じ始め、「世の中全てから批判されているという妄想」が起きました。盗聴を疑うなどの酷い精神状態で眠れず、好きだった野球中継からも自分を批判する声が聞こえ、いろんな音に意味を拾い食べ物もほとんど喉を通りませんでした。しかし、病気続きの母の入院を優先し、通院が遅れ、一時は箸さえうまく持てない程になりました。脳卒中の後遺症がある父に車椅子を押してもらいながら、やっとやっと通院する日々が続きました。
その頃はいくら薬を飲んでも楽になるどころか、自分を罵る独り言が酷く、昼も夜も頭は冴え渡り考えが止まらない…ほとんど眠れない日々でした。ついに入院先から、苦しみの酷さで「お願いだから早く殺して」と母に電話した程でした。
…病があっても。それだけではないのが人生ですよね。私の場合病気になって良かったのかもと思う事があります。それまで生活の主役は両親でしたが、『入院から私の人生の主役が自分自身になりました』そんな生き直しがはじまったんです。
そんな日々の中で、桜の名所として知られている大村公園に両親と過ごした穏やかな優しい日に柔らかな日差しの下で輝く、美しいかえでの木がありました。
どん底で苦しい病の中でも私の中に自然の美しさに感動する心は残っていました。一見なんでもない植物の存在にとてつもなく救われた思いがして、今でもその木に時々会いに行きます。

ある時3カ月ほどの入院で少しだけ楽になりました。それは入院した時患者さんとの語りあい…ピアカウンセリングの様なことを繰り返して、「あらゆることに感謝の気持ちを持とう」と考えるようになったからです。ソーシャルワーカーさんからの情報も助けになり、私は意識的に前向きに変化する努力を始めました。薬だけで人生が好転することはないと気づきがあったからです。
辛いけど自分だけじゃないと思う事は何より救いでした。
心配してくれる弟の支えにも気づき、具合が悪いからと何もしないで過ごすのが苦痛になり始め、しだいに就労への意欲も生まれてきました。
寝てばかりだった私は変化していました。
ついには、車を片道40分運転して諫早市の障害者就労支援施設に通うようになりました。そこには様々な障害を持つ人との出会いがありました。
私は雑談の楽しさを知り、凝り固まっていた心は次第に解けていきました。

⑥.通っていた就労支援事業所である日、楽しそうに掃除をする明るい男性ともそこで出会いました。よく話すと実は同級生だった彼は色々な社会資源や元気に役立つ事を知っていて、その中に元気である工夫を学ぶWRAPがあり、ピアカウンセリングがあり、当事者会活動がありました。それらを学ぶ事により私の病状は少しづつ軽くなりはじめました。
膝のお皿を骨折する大怪我で入院した私を毎日お見舞いに来てくれた彼に、私からプロポーズできる程幸せになることに意欲的になりました。訪問看護でお世話になったある看護師さんも私達の結婚を応援してくださいました。
家族に結婚を安心して認めてもらう為にともに障害者である私達がとった行動ですが、共に入院することになったらどうするのかというWRAPプランを作りました。結婚してからも、やはりお互い何度か入院することもありましたが、不安に思うことはほとんどありませんでした。私にとって結婚生活とは、当然ながら大きな再出発でした。毎日毎日、できることをひとつひとつこなす積み重ねです。結婚した年の秋に行った新婚旅行先はWRAP集中クラスでした。自分の人生に主体的でいることを学ぶ日々が始まりました。夫から、或いは夫と共に学ぶ当事者文化はどんどん私を元気にしてくれました。中でも当事者活動の幅は年々増していき、また、ほぼ毎日夫婦でピアカウンセリングをして気持ちのケアをするようにしています。支え合い学び合ううち何度か夫婦で新聞に取材される事にも遭遇しました。

⑦.仲間・ピアサポートとの出会いの中そして、このスライドを作るにあたって新たに大切な気づきがありました。
私たちは、どんな立場であっても、「毎日何らかの幸運に出逢っている」ということです。視野を広げて幸運から逃げずしっかり掴まえて行こうという心掛けは人生を豊かにしてくれたように思います。気づいていれば卑屈になったり苦しさの中に閉じこもらないでいられました。こんな気持ちになれたのには理由があります。
仲間たちとの学び合いが一番大きいのでご紹介します。
おおむら麦の会(精神障害者当事者会)会計やピアサポートみなとの副代表という役割が私を強くしてくれています。役割の中で当たり前のことに気づく日々を送っています。
大村市のピアカウンセリング事業や、フリーペーパー作りに参加した事も大きな経験で、WRAP ファシリテーターとして集中クラス、定期クラスを開催していました。再び本格的に絵を描きはじめるきっかけになったのはこれらの活動の広報活動をFacebookなどで行なった事でした。
また、仲間とともに、5年間講師として学び合いに参加して、元気であることへの責任感も身についてきました。『学びは使ってこそ』とインプットとアウトプットの連続の今日この頃です。
私たちは、限られた時間の中で経験から学び「よい習慣」を備えていきながら、結局は極々シンプルに、役割りをこなして命を繋いでいくだけなのだという事。
結果よりプロセスを大切に『いまここに生き』楽しみながら日々を充して行く・・それだけで素晴らしいと思える様になりました。
終わりに、皆さんにお伝えできる事をあげるとするならば、「弱さも辛さも人と繋がれる財産である」と思う事です。そして「もしも皆さんが迷ったり、辛い時にでも・・そういえば『できる事をひとつひとつ』と唱えながら頑張っている人いたな」って思い出していただけたら幸いです。拙い私の話にお付き合いいただきありがとうございました。

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