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大清水裕「北アフリカにおけるローマ皇帝礼拝の展開」

大清水裕「北アフリカにおけるローマ皇帝礼拝の展開 ーカルタゴとその周辺都市を中心にー」『滋賀大学教育学部紀要』67、2017年

目次

はじめに
1.アウグストゥス期のカルタゴにおける皇帝礼拝
(1)カルタゴ再建とローマ皇帝礼拝のはじまり
(2)カルタゴ出土の祭壇と首都ローマ
2.カルタゴ植民市の附属地と皇帝礼拝
(1)トゥッガ出土碑文
(2)「二重都市」トゥッガ
3.アフリカ・プロコンスラリス属州の皇帝礼拝
(1)属州単位での皇帝礼拝のはじまり
(2)フルノス・マイウス市、リミサ市、そしてカルタゴ市
おわりに

要旨

 本稿は北アフリカにおける皇帝礼拝の展開について、共和政末期〜帝政中期までを対象に再考している。当地のなかでも属州単位での皇帝礼拝の中心となっていた州都カルタゴとその周辺地域について言及する。アウグストゥス期のカルタゴで見られた個人による最初期の皇帝礼拝の事例を確認して、フラウィウス朝期にカルタゴを含むアフリカ・プロコンスラリス属州の単位で皇帝礼拝が成立した根拠とされる碑文を再検討し、北アフリカにおける皇帝礼拝の展開について、その特色を考察する。
 アフリカにおける皇帝礼拝は、その最初期においては個人レベルによるものであった。それは解放奴隷による自己顕示的な行為であり、アウグストゥスから何らかの恩恵を受けた人物によるお礼や報恩としての側面もあった。北アフリカにおける皇帝礼拝は、まずはアウグストゥスからの恩恵を直に感じることのできるような、限られた(おそらく外来の)個人によってはじめられた、と大清水は述べている。
 カルタゴ市単位での皇帝礼拝が行われていた記録は、時代は進んで紀元後54年ごろのクラウディウス治世に、カルタゴ近郊のトゥッガ市で刻まれた一連の碑文にある。州都であるカルタゴ市ではなく、その近郊のトゥッガでこの記録がみられることに大清水は着目している。トゥッガ市は再建されたカルタゴ植民市の付属地であると同時に、ローマ支配以前から人が住む歴史ある都市でもあった。カルタゴ市とトゥッガ市は主従の関係にあった。皇帝礼拝について言えば、カルタゴ市の都市単位での皇帝礼拝の存在を伝える碑文群は、カルタゴ市からトゥッガ市へ皇帝礼拝の伝播を伝えるものであり、先行研究はこのことを見過ごしている、と大清水は述べる。
 時代はさらに進んで、2世紀後半の碑文に注目する。大清水はこの碑文が刻まれた2世紀後半の北アフリカ、特にその発見地周辺の状況について先行研究は見過ごしてきたことを指摘する。そして碑文に関連する地であるリミサ市とフルノス・マイウス市の歴史を確認したうえで、この時代の北アフリカは人々の間で「ローマ人」としての意識が広まった時代であったと述べる。この時期に皇帝となった北アフリカ出身のセプティミウス・セウェルスのもとで、北アフリカ諸都市は繁栄を迎える。このことが、この地で皇帝礼拝の背景にあると大清水は述べている。

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