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〈遺跡紹介〉サルディニア内陸部のローマ遺跡

桑山由文「〈遺跡紹介〉サルディニア内陸部のローマ移籍ーーフォルドンジアヌスから見るローマ帝国の属州支配」『西洋古代史研究』20、2020年、pp.81〜89。

目次
1 ローマ帝国とサルディニア島
2 フォルドンジアヌスのローマ遺跡
3 ローマ帝政期サルディニアのかたち:豊かさと厳しさ

要旨
 本稿はサルディニア島中西部に位置する都市フォルドンジアヌスの遺跡を紹介し、ローマによるサルディニア支配の実態を探ることで、帝政期ローマの属州統治のあり方を考える一助を提供することを目的としている。
 フォルドンジアヌスが建設された当初の名前をヒュプシタナ泉であった。その名に表れているように、現在も温泉が湧き出している。古くから湯治場として賑わっていたようで、大浴槽などの遺構も遺されている。また、この地は物資の集結地点でもあり、軍事拠点としての役割も与えられていた。2世紀初頭のトラヤヌス帝の治世になると、町は「トラヤヌスのフォルム」という意味のフォルム=トラヤニと名前を変える。セウェルス朝期にはキウィタス=フォリトラヤネンシウムと、そしてビザンツ期にはクリュソポリスと名前を変えている。
 現在のフォルドンジアヌスは、アウグストゥス帝期に建設されてから規模を拡大し続けてきた。こうした過程は、ローマによるサルディニア統治のあり方とどのように関係しているのだろうか。桑山はローマ帝政前期のサルディニアの様子を概観した上で、検討を行っている。それによると、サルディニア島は沿岸部の平地と内陸部の高地とで人々の生活は明確に異なっていた。先行研究では、特に内陸部は居住に適さず住民も不穏であると考えて、帝国は統治の関心をほとんどもたないで放置しておいた、もしくは「ローマ化」が進展しなかったとみなしている。桑山はこのことについて、異議を述べている。まず先行研究がもとにしている文献資料の認識について疑問が残ると述べ、補助軍が駐屯していたことや町の名前がたびたび変更されていることなどを根拠に、帝国が山地民の動向に関心を持たなかったと断言することはできないと述べる。サルディニアにおけるローマの支配のあり方は、ローマ的生活様式とは切り離して考える必要があり、このことはサルディニアに限らず他のローマ属州にも当てはめることができるであろう。このような今後の展望を述べて、桑山は本稿をまとめる。

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