将来の夢に「ドラゴンの背中に乗って空を散歩したい」って書けばよかった

小学校で書かされる「将来の夢」の作文がすごく嫌いだった。スポーツ選手とかマンガ家とか看護師さんとか、ある程度決まった選択肢から選ぶだけ。そういう、何かしらの職について働く以外に選択肢がないことに憤りを感じていた。でも、子どもはけっこう大人が思うより自分に求められる振る舞いを理解している。お医者さんとか弁護士とか書けば親や先生は喜ぶんでしょ、ということは分かっていた。しかし当時からお気楽甘ちゃんの私は働かずに毎日愉快に過ごしてェ~^^以外に夢などなかった。やる気元気根気ゼロですね。だからせめてもの抵抗に「パティシエになりたい、それがダメならピアニストになりたい、それもダメなら何もせずに暮らしたい」と書いた。その作文を見た親にやたら怒られて当時は不服だったけど、今なら理由が分かる。ごめん

でも、大学生になって、「夢」っていうのはそんな大層なものじゃないんだなと思い直した。ハーゲンダッツをお腹いっぱい食べたいとか、ポケモンの最新作やりたいとか、その程度の小さな夢をちょこちょこ叶えながら生活するのが楽しい。夢が叶ってやりたいことがなくなったら、また新しい夢を探せばいい。みんなそれを繰り返して生きてるんだと思う。最近は自分でお金を稼げるようになったから、昔欲しかった児童書を読んだり、憧れていたヘクセンハウスを作ってみたりして幼い日の夢を取り戻している。欲しいものにはタイミングがあるから「これを当時にできてたらもっと嬉しかっただろうなぁ」と考えて寂しい気持ちにはなるけど、逆に大人になってからしたらもっと楽しくなったこと(勉強とか映画鑑賞とか)もあるから、こればかりは仕方ない。

それに、夢見るだけなら何を言ったっていいことにも気づいた。昔はもっと……お人形と同じくらい小さくなってシルバニアファミリーのおうちで暮らしてみたいとか柔軟な夢を持っていたはずなのに、いつからかすぐ実現可能性を考えて最初から諦めてしまうつまらない大人になってしまった。それが大人になるということなのかもしれないけど、やっぱり私は子供っぽくても純粋な心を大切にしていたい。小学校のときの作文だって、自分で勝手にルールを作らず思いのままに書けばよかったのだ。それを踏まえて叶えたい夢を書くなら、ドラゴンの背中に乗って空を散歩したいとか、イルカになって南国の海で毎日遊んで暮らしたいとか、世界中を旅してオーロラを見たいとか、色々ある。オーロラだけはやろうと思えばできる気がする。でも、それなら見えやすい条件を調べて旅行プランを立てて、っていう手段はあるのに、結局毎日スマホでダラダラ時間を潰して1日が終わっている。とどのつまり「スマホでダラダラ時間を潰す」、つまり「何もしない」のが私のやりたいことなんだろうな。やる気元気根気ゼロ

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