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初海外の思い出(ボランティア編)

1日に2回も投稿してたら
絶対3日坊主で終わるだろうと思いながらも
今日は時間があるのと
いつもスタートダッシュだけめっちゃいい性格で
ついつい投稿してしまっています。

今回は大学1年生(2016年)の時に初めて行った
1人海外「ネパール」での思い出について書きます。

なぜ初海外でネパールを選んだのかについては
後日別の記事で理由を書こうかなと思います。

このネパールに関してですが、
初海外にして女1人旅でした。
確かこの時年齢は19歳だったかな?
大阪で生まれ育って飛行機だって
高校の修学旅行くらいしか乗ったことなかったので
当時の自分にとってはかなり大きな挑戦でした。

ネパールには2週間程滞在していたんですが、
日本語教育のボランティアと復興震災のボランティアを行いました。

①日本語教育ボランティアについて
もう4年も前のことなのでぶっちゃけ詳細は忘れてしまっているんですが、ネパールのパタンという場所の小さな語学学校で日本語の教師をしました。
生徒は高校生から社会人(40代くらいの方もいたかな?)、主婦、プロテニスプレイヤーまで幅広い方々でした。
早朝に学校に行って15時過ぎくらいまで授業をしていました。
私は教員免許も特別な資格も持っていないただの日本人だったので、生徒との会話相手役やひらがなカタカナの書き方を教えたりしていました。
このボランティアに参加する前まではとにかく自分の日本語のレベルに対して不安はありませんでした。
自称進学校を主席で卒業し、大学もそこそこ名の知れたところにいるという変なプライドがありました(笑)
しかしいざ授業となると、まず生徒が質問している内容がわからない(=英語が聞き取れない)
やっと質問内容が分かっても
それを説明できない(英語を話せない、ネイディブならではの日本語の解釈があるから)
でした。
それが兎にも角にも悔しくて堪りませんでした。
ここから、私は「日本語教育」という存在にすごく惹かれていきました。日本語教育についてはまた後日投稿しようと思います。

②復興震災ボランティアについて
皆さんは2015年4月25日にネパールで大地震があったことを覚えていますか?
私はその当時高校生だったんですが、その事を凄く印象に覚えています。
その後色々縁あって、復興震災に協力したいと思い、ネパールに行きました。
復興震災はパタンからバスで数時間行ったところ(場所名は忘れました。)のど田舎の家の瓦礫処理を行いました。
ネパールはアジア最貧国とも呼ばれているだけあって、日本のように便利な機械はなく全て手作業で行っていました。
朝から夕方まで何度も家から近くの瓦礫を集める場所(ゴミ捨て場的な所)まで往復しました。
この作業を1週間行いましたが、ぶっちゃっけ日本だったら1日で終わるくらいの量(それ以外かもしれません)くらいしか終わりませんでした。
あの家を完全に修復する作業が1-100まであったら、私は5-5.5くらいまでやった感覚でした。
その後あの家はどうなったのかわかりません。

さてさて、とりあえずボランティアの話を書けたので次はネパールでのボランティア以外のところを書こうと思います。
最後まで読んで下さってありがとうございました。

(いつかのネパールの街)