シン・鬼十則 ~お前の本業はなんだ? お前は一体何屋なんだ?~
2000年代、入社間もない頃、日経社という歴史ある広告代理店の偉い方とお話しをさせて頂く機会を貰いました。
(自分)「この4月から電通に入りました!広告代理店の営業マンとしての作法・振る舞いにつき、ご指導ください!」(フレッシュ)
(偉い人)「君、違うよ。それは全然違う。全く解っていない。間違っている。君の入った会社は、広告代理店なんかじゃない。」(滔々と)
(自分)「??…と、仰っしゃりますと?」(困惑)
(偉い人)「君は、君たちは、電通という産業なんだ。広告会社ではない。だから、君が学ぶべきは広告業ではない。なんだかよくわからないけれど。多分、電通業というやつだ。 だから会社に帰って、君の先輩からよくよく学びなさい。」(諭す感じ)
あしらわれたのか、本心から仰ったのか、当時の私には測り兼ねました。ただ、その語り口はとても真摯でした。
その後、十余年を電通で過ごしました。今では、この偉い人の言葉は肚落ちしています。少なくとも、当時の電通の主たる売上数字は、広告枠の専門商社とでも言うべき広告代理業に由来するものでした。しかし広告枠の仕入れを担当する部門は少数精鋭、7千人強の社員全体から見れば極々少数の選ばれし猛者達が丁々発止、腕を振るっていました。
そして、それ以外の多くの電通人達が、実に様々な、一括りにできない「業」を営み、広告枠のトレーディング他、電通の圧倒的競争力に貢献していました。当時、「この人の本業は一体何なんだろう。この人の専門性はどこにあるんだろう?」という摩訶不思議な人達が、特に上の世代に沢山いました。
広告会社に良くいそうな、解り易い職種は「マーケッター」や「プランナー」、「コピーライター」、「営業(アカウント・エグゼクティブ)」です。最近は「データサイエンティスト」や「アナリスト」とかも増えました。
確かに、そういう名刺を持っている人も大勢いました。しかし、実際の業務との乖離が激しい人や、明らかに肩書以上の多機能を発揮している人が沢山いました。
これは、地獄の沙汰も金次第、とまでは申しませんが、クライアントや社会に課題があれば、そしてそこに商機(金の匂い)があるのであれば、自社や自身の枠や範疇なんてものは二の次、三の次。どんな手段を講じようとも、解決してみせる(請求書を出してやる)、という鬼の気迫が連綿と続いてきたことで、最早何屋さんなのか、本業がなんなのか、よく分からない人達で溢れかえっていたからだと思います。
クライアント(金主)に相談されるというのは、新たな商機です。経験や実績があろうがなかろうが、そこには「はい」か「YES」しかあり得ません。
経験もないので上司に相談しても、上司もよくわからない。そもそも日本初だったり、世界初だったりする。結果、返って来るアドバイスというか指示は「うまくやれ」。
先輩に聞けば「できる、できないんじゃないんだよ。やるんだよ。それ以外に何かあるのか?」。
そして積み上がり続ける不思議な人脈とノウハウ、多岐にわたる信頼と実績。
社内の幹部候補社員研修とやらに選抜頂き、一橋ICS(ビジネススクール)の教授の薫陶を受けた際、こんな一節がありました。
企業の競争力の源泉は模倣困難性
技術はいずれ追いつかれ、知財には迂回策があり、地位や権利は陳腐化する
最高の模倣困難性とは”そもそも何をやってるのかすら分からない”
競争力の源泉は、特定された瞬間、競争に晒され、いずれ必ず追いつかれます。業種業態は定義された瞬間、Only 1から No1か2かそれ以下かの序列の範疇に収まります。
あの会社、あの人は、結局何屋なのかよくわからない。この状態で結果が出ている限り、これが最高の競争力のある状態ということです。敢えて韜晦している方が良い。
よろしくないのは、自社は●●業である、自分の職種・専門は××である、こんな風に、自己を規定し枠を嵌めることです。更にその範疇での(狭い)競争に明け暮れ、不毛な消耗戦に陥ることです。
私たちは正体不明、分類不明で在り続けることに不安を覚えます。解り易く「僕はマーケティングの専門家です。」「私はプランナーです。」等と定義する誘惑に駆られます。
確かに、解り易いラベル・レッテルがあると、専門性やレベルの低い、解像度の荒い人達の他、異業種・異分野の人達からも評価(理解)されやすくなるでしょう。
解り易いので社内でのアサインメントにも転職にも有利です。それこそ、学歴と同じ様な機能は果たすでしょう。
しかし、ポジションやファンクションでのアサイン(転職)は、「あなた」という一品モノの人材ではなく、「機能」として採用されるものであり、代替可能なパーツであることが少なくありません。その仕事は、貴方が欲しいのではなく、貴方が果たし得る機能が欲しいだけなのです。
そして、それを果たす限りにおいては、貴方である必要など、何処にもありはしないのです。価格競争に代表される過当競争の入口が、地獄の釜の蓋が開きます。
誰でもない、「君に来て欲しい」、「あなたにやって欲しい」と指名(ヘッドハント)されるアサイン(転職)の方が有意義なのは、言うまでもありません。
そして、そういうオファーを、分野を選ばず、何でもかんでも全て受け続けていると、やっぱり、何屋さんなのか、本業がなんなのか、よくわからない状態がどんどん深まってゆきます。
日経社の偉い人が見てきた全盛期の電通は、そういう一品モノの正体不明な人達の集団だったのでしょう。広告業でも、代理業でも、なんでも良いですが、世の中一般でカテゴライズされるような”●●業”なんぞ学ぶな、見倣うな、自分で自分の生業を枠に嵌めるな、と。
もう随分昔にルーキーとは言えなくなり久しいですが、私もそうありたいと思います。そして、そのような選択をして来ました。
カメラマン→電通マン→商社マン→!?
地獄の沙汰も金次第。なんでもやります。ご馳走様です。おかわりください。