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シン・鬼十則 ~会社は使い倒すべきで使われるべきでない~

組織に運命共同体の仲間として迎えられるメンバーシップ型雇用と違い、必要なジョブに有効なスキルを買われ雇われるジョブ型雇用。日本でもジョブ型雇用が広がるのとあわせ、表裏一体のように蔓延しつつあるのが「静かな退職(Quiet Quitting)」だと日々感じます。

勤務時間内の自分の仕事は淡々とこなした上で、残業はたとえメール送信ひとつでも拒絶したり、また自分がすべき仕事以外は一切手をださないなど、ライフワークになってしまいがちな仕事というクセモノにのみ込まれないよう、距離を置くことが提唱されている。

日本経済新聞 2022年11月5日 5:00

「そもそもジョブディスクリプションに書かれていない活動を期待・強要するのがどうかしている」vs「いや、同じ組織の一員なのだから最低限の構成員としての役割はある」等の議論が空転する様が目に浮かびます。

電通人や鬼十則は「24時間戦えますか?」と会社に滅私奉公するモーレツサラリーマンの代名詞のように語られることが多いと思います。しかし私の印象は少し違います。確かに昼夜を問わず動き回ってる人は多かったのですが、「会社のために」なんて思っていたのか大変疑問です。

私が当時よく耳にしたのは「お前、会社なんてのは道具だ。使ってなんぼだ。」という話でした。割と上の世代の先輩が言っていました。

順番が逆なのです。まず自分ありき。世に成したい事なのか、やりたい事なのか、味わいたいことがある。その為の使える道具として会社(この場合は電通)を使い倒してやろう、という肚です。個人商店主の集合体と呼ばれていただけあります。

その使い倒す段において、一方的な搾取、フリーライドばかりしようとしても当然上手くゆきません。なので、win-winないしGive & Takeの精神で組織にも貢献する、という順番だったように感じます。

この順番だと「静かな退職」なんていう発想は出てきません。そもそも会社の命令で仕事をしているという意識が希薄です。今でいう「ジョブ型」だろうが、「メンバーシップ型」だろうが、要はその会社が使える会社かどうかです。

そして有用な道具には愛着も湧きます。長年連れ添った相棒のような道具。後進育成といった道具の手入れにも余念がなかったのは、そういうことだったのではないかと思うところです。

お酒は飲んでも飲まれるな。会社は使っても使われるな。ですね!

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