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シン・鬼十則 ~プリンシプルを放すな、殺されても放すな~

プリンシプルとは原理原則、つまり本質のことです。プリンシプルが根底にあり、様々なルールや組織、KGI/KPI、マニュアルがデザインされてゆきます。プリンシプルなき組織、KPI、ルール、マニュアルは害悪です。
日本企業の多くがSDGsを謳い社会の公器こそ自らのプリンシプルであると自負します。しかしその実、社内ルールや仕組みの多くはその企業の、そしてそこで働く社員一人一人の社会への付加価値の最大化を目的にしているのか一抹の不安があります。

組織は絶えず官僚化の方向に向かう。日本企業の最近の一番の問題も、オーバーアナリシス(過剰分析)、オーバープランニング(過剰計画)、オーバーコンプライアンス(過剰法令順守)に陥っていることだ。(中略)物事の本質を洞察して勝ち抜く戦略的思考や、したたかさが劣化した。

日本経済新聞 2014年1月12日 2:00

野中郁次郎先生のいう「オーバー」というのは「プリンシプル」に対して、過剰であるということと私は理解しています。オーバーコンプライアンスの弊害を端的に現す記事があります。

問題が起きるたびにチェックリストと手順が増え、新たな事件が世を騒がすたびに、形式的な仕組みが導入される(中略)。
不要になった、あるいは時代錯誤となったルールや手順を破棄する仕組みを持たない組織では、順守すべきルールや手順は積み重なっていく(中略)。
付加価値を生むべき社員の時間の大半が「手続き」に押し込められてしまう。その病状がさらに進むと、「付加価値を生む(主)ための手続き(従)」であったはずの主従が逆転し、「手続きを行うこと」を仕事と勘違いする社員が増え、「手続き上手な社員を優秀と見なす」文化が広がっていく。

日経ビジネス 2021.4.9 

手続きは組織である以上必ず必要な機能です。しかし記事にある通り、付加価値を生み出す活動が主であり、社内を通す活動は従属的な活動であるはずです。

年がら年中社内を通すための資料作りや社内会議にあなたの貴重なリソースを費やしているとしたら明らかに社会の損失です。国家・社会が衰退します。
またあなたの会社で評価され出世し権限を得る人が本来従属的な機能であるはずの社内通しばかり得意で付加価値を生まない手続き屋であればもはや末期です。
就活生が決まって「潤滑油アピール」をすることは大分前からネタですが、ガソリンがなければ車は走りません。

プリンシプルを高密度に共有している集団においては極論KPIや社内ルール、マニュアルの類は不要です。ルールなどなくともコモンセンスで代替されます。KPIやマニュアルは却って自律する一人一人のパフォーマンスを著しく棄損するでしょう。

翻ってプリンシプルなき集団でいくらKPIや社内ルール、マニュアルを用意しても無駄です。自身の責任範囲のKPIとなった数値目標だけせっせとかさ上げする方法に貴重な叡智を絞り、ルールには対策が、マニュアルには裏技が考案されます。そして粉飾や隠蔽体質に傾いてゆくでしょう。

その行きつく先どんなことが起きるのか、私達は沢山の事例を思い出すことができると思います。

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