どうしても「学校」が嫌いな子

息子は1月9日の晩から帰寮しており、今日11日からは、この春に実施されるGCSEの模試が始まっています。
今日は音楽・数学・英語1/3だったみたいだけど、数学がめちゃくちゃ難しかったそうで昼間電話がかかって来ました。数学はまあまあ得意なので80%(学校は点数でなく%で表現する/通常は80%でかなり上位に入れます)くらいとれるつもりで居たらしいですが、ものすごく難しくて、特に最後の大問はよく分からなかったとのこと。
まあね、
だから勉強したら?って言ったんやけどネ🤷🏻
冬休み中毎日12〜5時間寝ていたので、勉強するとしても30分から一番長かった日で2時間程度。数学という教科に限って言えば、2日3日はしたのでしょうか?ほんと自業自得やで。
電話かかって来たのが4時半くらいだったのですが、久しぶりに頭使って疲れたそうで「とりあえず寝る」と言ってました。明日は物理だそうだけど、大丈夫でしょうか。もはや笑える。

基い、
タイトルの件なのですが・・

こうやって曲がりなりにも入寮して学校生活を送っている息子ですが、2歳で幼稚園に入った時から今に至るまで一貫して「学校には行きたくない」という強い主張が有ります。
学校の何が嫌だとか誰が嫌いだとかではなく、学校という概念が嫌いだという話。

嫌な先生や、粗野だったり狡かったりする子(これ書くと申し訳ないけど、香港の学校ではチラホラ遭遇しましたがイギリスの学校ではそういう子が全くいらっしゃいません)が居ても、インディビジュアルな問題は真正面から解決して来た私たちです。個々の問題は解決したり納得した上で、じゃあ学校の何が嫌なの?!🤷🏻と言うと、つきつめれば「学校そのものが嫌」「学校という概念が嫌」ということらしい。
私、世の不登校の子どもたちの中にも、こういう子けっこういらっしゃるんじゃないかな?と思ってます。何が嫌って学校そのものが嫌なんだから、先生が迎えに来るとか友だちが気を遣ってくれるとか関係無いっていうタイプ。勿論、虐めが嫌で親にはっきり言えないとか勉強ついて行けないとか確固たる理由が有っての人も多いのだろうけれど、漠然ともう「学校」がムリって子たちも居るんちゃうかな。

息子曰く、皆んなで同じ方向向いて座らされてたり、順番に何かさせられたりしてること自体、時々ハッとなってはゾゾーっとするくらい嫌なんだそうです。自分はそういうの毎日我慢してるんだ、と。皆んなで同じ練習問題をさせられたり、嫌で嫌で仕方ないというのを、時々スイッチが入ってしまうと、懇々と訴えて来ます。
その感覚は少し私にも分かるような気がして、こういった表現が適切かどうか知らないけれど「可哀想だなとは思う」。
しかし息子の場合は、言ってもまだ我慢すれば行ける方なんだから行けば良いんじゃないか、というのもあるし、何よりも、私の親としての能力で息子に生きて行く上で大切なことを教えきれる自信が無いので、大きな問題が無いのならばとにかく学校へ行ってくれ、学校のような多くの大人が居る場所であれば、私よりも能力のある大人たちと何かしら接することが出来る筈だから、という思いが有ります。ホームスクーリングも、ずっと頼まれてたけど結局はしてあげなかったなー。
ほんと今に至るまで事あるごとに恨みのように言われ続けてますが。

集団生活が苦手、というのとはまた違っていて、集団に入ってもそれなりに何となく過ごすことは出来てるのですが、根本的なところで別にハッピーじゃないし、自ら選べるなら「独りの方が楽しい」という、これはもうそういう性格なのだと思う。
私も息子も人混みが苦手なのですが、例えば私の苦手さは仕事で東京出張してる時に朝イチのアポとか入れば仕方ないから満員電車に乗ることも出来るけれど、息子の場合は実際にロンドン程度の地下鉄やバスでも気分が悪くなり途中下車したことが数回有るし、行きたいところ買いたいものが有っても、人混みに近づくくらいならば諦めるといった感じです。そういう気持ちの延長線上に「学校」があるのかも知れない。

かく言う私も大学を中退していて😅、
校内カウンセリングをしてくださってた心理学の先生に「朝、校門のあたりに学生がたくさん集まってるのとか見ると気持ち悪くなってしまう」ということを言ってました。なんだか、大衆の雑多な思念みたいなものに晒されて穢されるような、圧倒される感じがしてました。(世間を馬鹿にしてるとか個々人が嫌いとかではないのです)
・・という、これは私の話なのですが、これまで何度となく「何故学校へ行くのか」を話して来た中で、息子にも伝えています。

学校、何で行かなきゃいけないんでしょうね。
或いは、行った方が良いのでしょうかね。

自分の中でも答えは出ておらず、ある意味答えが出る迄は惰性で行ってもらってるみたいなところが有り、ほんと息子の人生に失礼なことをしているかも知れないナと感じています。
そして他でも書いたけれど、
「学校行くと馬鹿になる」とも思ってる。
これは馬鹿というのは悪いばかりではないという意味も込めての表現ですが。

学校へ行き、集団生活に押し込まれることを我慢し続けていれば、息子の突出した才能は失われ、ある基準に合わせた大量生産の馬鹿に近づくんじゃないか。そしてそれを人は幸せと呼ぶのかな、と思っています。