ゆるパクが嫌なんじゃない、劣化ゆるパクが嫌なんだという話

自分の書いた小説を小説として人様に晒すようになって、八年が経った。長いような短いような……。
でも、八年前は八年後の今も小説を書いているとは夢にも思っていなかった。それまで私は「台詞は書けるけど地の文が書けない」と思っていたからだ。

八年前のある日、何気なく著名な小説家さんの小説を読んでいて、な、なんだこれは……!? と衝撃を受けた。
今思えばそれは三人称単視点という手法との出会いであり、またその方の手癖が三人称でありながら限りなく一人称に近いことに驚き、「これなら私にも書けるのでは」と今思えば畏れ多いどころじゃないことを考えた。いやそれまでどんだけ小説読んでなかったのか? という話である。
そもそも、既にその頃某ソシャゲに狂いに狂っていて、小説だ小説じゃないとか、人に見せるかどうかとかそんなことを考えるより先に、毎日テキストを打ちまくっていた。その狂いのまま、それにちょっとだけ地の文らしきものを付け足し、生まれて初めて、小説として投稿した。

それから八年。

書きたいと思うものの半分くらいは形にできるようになったけれど、「長くなると制御できなくなる」「同じようなシーンで同じ表現しか出てこなくて詰む」等の、これまで見て見ぬふりをしてきた課題ともそろそろ向かい合うか……と考え始めた。遅すぎるが、何しろ絵や漫画に関しても「とりあえず台詞さえ納得いくものになってればいい」「カラーはそのキャラとわかる色に塗れていればいい」というとんでもない低空飛行を既に身につけているので、小説についても志が低すぎたのだ。

結局、漫画と同じなのである。コマ割りが単調だとか構図が顔のアップばっかりだとか、漫画を描く方はめちゃくちゃ気にするけれど、読む方は実はそんなに気にしていない。
小説も、接続詞や指示語が多いといけないと言うけれど、読む方は気にしていない。ただ、指示語は超絶高確率で読み間違えられているがそれでもいいか、的な指摘を見て「減らそう」と強く思った。現文のテストで全員満点取るわけじゃないもんな。とはいえ、そう簡単に減らせたら苦労しないので、少しずつ……。

ともかく、そんな感じで、漫画でいうコマ割り顔アップ、小説でいう接続詞指示語の件は、私にとって「読む側の人ってそんなにも適当に読んでるのか」と目から鱗がボロボロ落ちるような体験となった。
いいか悪いか以前に、目から鱗。

前置きが長くなった。ゆるパクとはすなわち、読む人の姿勢によってどうとでも読まれるのだな、というか、ぶっちゃけゆるパクかどうかなんてどうでもよくて気にしないんだなと思ったということを書きたかった。ら、色々溢れてきて書いてしまった。こ、こんなバランスの悪い書き方、noteでしかしてないんだからねっ……。

八年前はそれこそ右も左もわからずおろおろしていた私だが、三年ほどで色々と慣れた。
そしてその頃から、ゆるパクに執拗に狙われるようになった。ジャンルAでは全くされないのに、Bでだけ次から次へと複数人にされるので、私が被害妄想に陥っているだけオチではないと思う。
私自身それほど他の人の小説を読み込まないので観測もれがありそうだが、観測できるところで既に三人に入れ代わり立ち代わりされている。それぞれひとくちにゆるパクといっても個性があるので、「こんなやり口があるよ」という笑い話として、ごくごくごく一部を紹介したいと思う。本当は、面白いからって理由で全部書きたいけど……犯人特定とかしたいわけではないので。

パクラー1:文章が独特すぎて、匿名メッセージでも「この人だな」とわかる。私が何か投稿すると「今回も良かったです」という感想をよこし、数日後パクリ作品を公開、というルーティン。私だけでなく、複数人から切り貼りしていた。私のと神のを合体させるという罰当たりどころではない行動を見た時は私が死にたくなった。最終的に、私が書いた文章のカプをすげ替えただけの、置換でも使いました? レベルのものを投稿するようになる。その頃ブロックしたのでその先のことは知らない。

パクラー2:パクラーと言えるのか限りなく微妙なラインをつくのが得意。キャプションが、「あれ、私書いた?」となるくらい似せられていて怖い。個性的なやり口としては、たとえば私が「推しちゃんが苦いものが苦手だとかわいいな」と考えてせっせとそういう描写をしたとして、この人は次にあげる自分の小説に「推しは苦いものが苦手なのだ」と一文でしかも無駄に強い調子で断定してくる。もちろん公式にそんな設定はない。これを何度も何度もやられ、「いちオタクの妄想を断定すんな!!」と心が折れ、ブロックした。今もお元気なようです、としか知らない。

パクラー3:彗星の如く現れた新人。わずか三ヶ月足らずで取り巻きを結成。交流のためなら手段を問わず、ネタがないと言って常にリクエストを募集している。二次創作がしたいわけではなくちやほやされたいだけ感があまりに丸出し、下に書くパクリをされたため、ブロック。一歩遅かったら私も交流を持ちかけられていたのではないかと思ってしまう。

……つい隠しきれない恨みつらみが漏れ出てしまった。まあ話を進めますね。数ヶ月前にされたばかりのホヤホヤの、「私がされて嫌だった」ゆるパクの例をあげる。若干のフェイクはあるがほぼそのままだ。

土台は、私が1年以上前に書いた小説。そこから4箇所ほど(4文ほど)コピペし、それらはおおむね起承転結からそれぞれ1文ずつコピペしているので、その間を適当に(本当に、泣きたくなるくらい適当に)埋めて、はい完成。えっもう!?
土台の造り手の感想としては、質の悪すぎるダイジェストにされた気分。文字数は半分以下になっているが、話の流れは完全にトレースされている。しかもオチがひどい。そんだけパクるならオチまでパクれよと言いたい。なぜオチにオリジナリティ(しかも小学生が考える定番みたいなやつ)を入れた。
カップリングとしてはABの小説。だけどCの台詞をそのままコピペしていて、そこまでにその場にCがいるということが描写されていないため、「Cが突然生えた」という現象が起こってる。
また、Dが「本来のキャラはこんなことをしないが、この話ではこういう状況のためこのような言動になっている」という説明ももちろんしていないので、「誰だお前は」になっている。
しかも恐ろしいのは、このパクリ作品は「リクエスト作品」であるということ。はい、紹介のところに伏線張りました。リクエストした人の感想は観測していないが、満足したのだろうか? パクリと思わなくても、不自然だと思わなかっただろうか?

そういうあからさまなツギハギを見ても、ほとんどの読み手は何も思わないのだろうなぁ、というのが、文章の勉強をして(ほんの少しだけだが……)文章力よりも学ばされたことだった。
ツギハギされたと感じた私のイメージとしては、私が心をこめて描いた絵をコピーして一度ビリビリに破いて適当にセロテープ(セロテープというところがポイント、古の絵描きとしてはメンディングテープ使えやとなる)で貼り合わせ、途中で紙片をいくつか失くしたけど気にせず、空いたところをクレヨンで適当にぐちゃぐちゃ描いて埋めました、と言われているような気持ち悪さがある。
自分の作ったものをいびつな形にされ、そのいびつなものを他人が自分のものとして公開している。
一体どんな気持ちでそれを公開し、見る人はどんな気持ちで見ているのか。(いや、気にしてない、って結論に私の中ではなったわけだが……)
ブクマの数だけでいえば、いわゆる壁打ちの私に比べパクラーたちは約三倍を得ている。ブクマの多さが正義とか言われたら終わりだ。
なにより、そもそもの私の作品が、ビリビリに破かれても、セロテープで張り合わされても、クレヨンで隙間埋められても誰も何とも思わない程度の出来なのか、という絶望がおそらく私には一番つらい。
私の目にはそう見えているけども、はたから見たらお前が頑張って書いたとかいう小説()も幼児のラクガキと一緒だよ、と言われたような気持ちになるのだ。
読み返すと、なんだかパクラー3しかそのラクガキ化をしていないみたいに見えるが、三人ともからされている。三人分、それぞれ数度にわたってセロテープで張り合わされ、お前のなんかラクガキだ、と言われた気がして毎回新鮮に落ち込んだ。この感覚は何度されても慣れられない。

別にゆるパク自体は(モヤッとはするけど)悪いとは思わない、ただやるなら、というか自分の作品として投稿するなら、「良いものを作ろう」という思いがないのか? そもそも元がパクリだから手間暇をかけるのが惜しいとでも言いたいのか? という疑問がどうしても拭えない。

まとまらないが、つまり、「ネタを後追いする(ゆるくパクる)」と、「完全コピペにならない程度にコピペする」「人が書いた文章を劣化させる」は全てゆるパクと呼ばれるけれど、私からすると天と地のような差がかあるということらしい。

劣化は本当に無理。もうそんな「ゆるパク」なんてかわいらしい名前で呼んで欲しくない。ただの「パクリのち劣化」だ。
置換で名前と口調変えただけのコピペも、ひでーなとは思うけれど、こっちはまあ……証拠しかない分マシとも言える。
ネタをゆるくパクるのは、二次創作なら仕方ないよ〜と言いますが私は一次創作でそれを見ています。一次創作でも書いてるから。二次創作あるあるというより狭い界隈あるあるな気がする。これはもう、私だって影響受けてるなと思う時があるし、受けられてるなと思う時もある。これを追求したら創作ができなくなってしまうので、単に「ネタをゆるくパクる(後追いする)」ことだけを「ゆるパク」と呼ぶのなら、どうぞどうぞ、の気持ちである。ていうか、絵柄パクとかいうやつもゆるパクに分類されるなら、文体パクもゆるパクになる。そして私は商業小説家さんの文体の影響をめちゃくちゃ受けている自覚がある。もう私は何も書けないことになってしまう。

私が許せないのは、ゆるパクの中でもパクリのち劣化なのだ。
あ、でもわからん。人から見たら「パクリのち劣化」どころか「元ネタを素晴らしい作品に仕上げてる」のかもしれない。私に文章見る目がないからそう見えるだけなのかも……。(もうやだこの流れ)
そしてこの行為を「ゆるパク」と呼ぶかどうか自体、人それぞれな気がしてきた。なんかね、いい呼び分けがあったらいいなと思うのみです。私が盛大に無知を晒しているだけだったら教えてやってください。

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