同人女が25年前と今の創作活動について考えてみた雑記

最近創作で怖い目にあってばかりで、いや、なんで???ばっかり考えていたのだが、普通に「世代が違う」で片付く話なのでは、とふと思い当たった。

現在、「二次創作」というワードで検索をかけようとすると、かなり上の方に候補として「二次創作 嫉妬」と出てくるのを最近見て引いた。昨今、二次創作とは承認欲求と嫉妬が織り成すディストピアであるらしい。
私はここ数年「感想がなくても書ける不気味な奴」と叩かれることが多いのだが、なぜそれが叩かれる理由になるのかさっぱりわからなかった。
叩かれるのは、嫉妬をされているからだった。
いや、でも、感想がなくてもかける代わり、交流もしてないから数字(いいね)はささやかなのに。でもそれでも嫉妬する人はする。あの手この手で嫉妬の材料をひねり出し、なんとか私をこき下ろそうとする。
なぜ私「ばかり」がそんなに嫉妬されるのか……と思っていたが、それは誤解で、現在の二次創作、しかもそこそこ(そこそこ、というのがポイント)ニッチな界隈は、特に承認欲求と嫉妬がギトギトに煮詰まった地獄なのだとようやくわかってきた。

で、まあ、嫉妬する人たちの心理は若い方のほうが詳しいというか生まれながらにお持ちだと思うので、アラフォーとしては「二次創作で嫉妬ってどういうことなんだ……」となる心理の方を書いてみたいと思う。
心理というか、まあ私の同人生い立ちのようなものか。

インターネットがなく田舎に住む学生だった私は、当時は地元の即売会にしか参加できなかった。それを特にマイナスとは思わなかった。とにかく即売会にサークル参加できさえすればよかった。というか、それ以上を当時は考えていなかった。昔の高校生は概ねそうだと思う。なので、地方都市(の中でもマイナー)の、まあ概ね2000年前後の地方イベントでの話、そして私は2003年までインターネット環境がなくパソコン通信とかもやっていなかったので、とにかく(私に)ネットがなかった頃、をスタートとして書く。

今はどうか知らないが、私が即売会デビューした当時、地元の即売会にサークル参加ができるのは高校生からだった。ので私は便箋を作りながらじりじりと高校生になれる日を待っていた。
高校生になった。即、サークル参加した。

これがまあ、当たり前だが売れない。サークル数500ほどの、当時としてはなかなか大規模の即売会だったが、売れた数を言うとだいたい0~5という感じだ。平均すれば1いくかどうか。全く売れないことの方が多かった。
その理由としては、まず絵が下手、漫画が下手、ジャンルがマイナー、あたりが大きかったと思う。あとはいかにも不慣れ丸出しだったことで近寄りがたかった、とかもあるかもしれない。
だが私はサークル参加をやめなかった。売れなくても、次こそは!と奮起し、最高の1冊を作り上げ、今度こそ!とスペースで待ち構えるが、売れない。それが当たり前だった。
そりゃあもちろん、売れないどころか手に取ってももらえない、というのは「私が描いたものがどこにも行かなかった」という虚無感、私何やってるんだろう……という自問自答、あらゆるものを私にもたらした。誰も見に来てくれないイベント会場に何時間も座っていることは正直拷問だった。
しかし、ほんのわずかながら、売れる法則のようなものは(当時の、しかも地方の法則だが)見つけていた。まず、新しいジャンルで初めて参加した時は売れない、立ち止まってももらえない。しかし2回目は立ち止まってもらえることが増え、3回目にもなると買ってくれる人が現れる。インターネットのない当時、私の本に関する情報はサークルカットただ1点のみに限られていた。サークルカットと、当日の机。買う側としてはいきなり手に取るのは怖い、もう少し情報が欲しい、となったのだろう。だから3回目にやっと本を手に取った。当時はなぜ?と思ったが今はわかる。得体の知れない本をいきなり書き手の目の前で手に取るのは相当にハードルが高いよな。私も、本を買うのは今でも緊張する。

そのことを1年ほどかけて学んでいた私は、当時の数少ない同人友達が本を作ってサークル参加すると聞いた時、少し不安をおぼえた。友達は絵が上手いし独特のセンスを持っている。売れる要素がある。しかしジャンルがマイナー。これは、初回は爆死だなと私は思った。けど言わず、当日を見守った。案の定、友達は本が思ったように売れなかったことにショックを受け、そのまま二度とサークル参加をすることはなかった。だが私にはわかった、あと2回サークル参加していれば彼女はきっと売れていただろうし、1年もすればファンがついていたはずだ。それくらい強烈な個性があった。でもそれまで待てなかった。彼女が弱いとかではなく、「普通の熱量」の人の感覚とはそんな感じなのだ、とその時知った。(一応、3回目論の話はした。しかし彼女は既に聞く耳を持っていなかった。先に言った方が良かったのか、と今もたまに考える)

かように私はその時、絵も上手く明らかに売れる要素を持つ友達と比べても「どうやら私には創作を続ける(やめない)才能があるらしい」と学んだ。そして、イベントにサークル参加し続けている人たちも、私と同じ才能を持っている人なのだということも。

それから私は大学生になり、コミックシティに参加するようになった。そこで世界はだいぶ開けた。都会の人たちは警戒心が薄く、初参加でも本を手に取ってもらえる率は変わらなかった。絵が下手でマイナージャンルなのも変わらなかったが、本の売れ方は0~10くらいに増え、平均2冊くらいを叩き出せるようになった。単に都会効果かもしれないが、嬉しかった。

その後、個人サイトを作るようになり、そこで宣伝をはじめたが、果たして効果があったのかはわからない。売れる数は変わらず、そして個人サイトを作ってからも、感想というものを貰う機会はなかった。
書店委託をしてもらえるようになっても、コミケに受かって持ち込み分があわや完売しそうになった時も、感想は貰わなかった。
同人誌とは感想を貰えないものなのだというか、「今更感想貰っても逆にびっくりするな」レベルにまで悟りを開いていた。あ、その頃には本の奥付に書いたメールアドレス宛にメールが何通か来るようにはなった。だがそのメールは、「あなたの本の写真をブログに貼ったので見に来てください」とかそっち系だった。つまりそれも宣伝だった。宣伝をすると宣伝が返ってくるのか……とまた虚無になった。

そんなこんなで6年ほど別の趣味(ゲーム制作)に浮気したあと、また「これは……本を作らねば」というジャンルに遭遇した。6年ほどの間に世界は個人サイトからSNSに変わっていた。あとは、若い方々もご存知の世界だ。

……なんか書いてて、なんでそんなに本が売れないの?工夫しないの?そしてそんなに売れないのになんでやめないの?と我ながら思った。これはもう才能というか病気なのだと思う。本が売れなくても、本を作るのがやめられない。いいねがつかなくても、投稿することをやめられない。
そういう中年がこの世にはいるというか、中年の中にはそういう人が一定数いるのである。いるよね?私1人じゃないよね??

若い人から見たら、意味がわからなくてさぞ気持ち悪いことだろう。けれど私も、「いいねのためになりふり構わない」みたいな姿勢は普通に意味がわからなくて怖い。そもそも創作って何?描きたいから描くのでは?描きたくないけど間が空くといいねが貰えなくなる……という悲痛な叫びをよく見るけれど、そんなに無理して描く理由は何……?と普通に思う。

ただ、太古の昔から、いわゆる壁サークル(特に、同人で生計を立てている)の人たちは、おそらく売れるためになりふり構わない努力をしていただろう。
あの人たちが今の時代のパイオニアだったというか、今が「創作人皆壁サー」時代なのかな、と思う。

そして私は、「感想は貰えないが嫉妬はいらんほど貰う」小説書き手となった。そりゃ感想は貰えたら嬉しいけども、嫉妬はいらない。そもそもなんで感想を貰えないというマイナス要素に嫉妬を……、いや、わからないことをグチグチ言っても想像力のなさを露呈するだけだからやめておこう。

ただ、なぜよりによって「私が大好きで書いてるニッチ性癖」が承認欲求と嫉妬の吹き溜まりになってしまったのか、についてはものすごく悲しいし怒りを覚えている。正直ものすごく嫌だ。好きで書いてない人を殺虫剤で駆除できるものならしてしまいたい程度には、今の環境には納得がいっていない。
いつかまた、本当に好きで書いている人だけの世界に戻らないかなと夢を見ながら、懲りない今日も私はテキストエディタを開く。

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