徒然日記
二週間ほど前にネイルオフしてからずっとそのままにしていた爪を、昨日手入れした。
パチンパチンと短く切りそろえ、淡いピンクのネイルファンデーションを二度塗りすると、十本の爪はまるでシロップに漬けたようにトュルンと輝いた。可愛いと思った。
最近、物を消費するのが気持ちいい。やみくもに浪費するのではダメで、「正しい消費」に快感を覚える。
ハーブティーのパックを毎日ひとつずつ使うとか。50枚入りのサージカルマスクの箱が空になったとか。回転式の口紅が回しても伸びなくなったとか。
完全な状態で存在していた物を、キチンキチンと規則正しく消費して使い切ることに満足感を得ているのだと思う。
自分の身体も正しく消費して、薄くぺたんこになりたい。
物を食べて得られる喜びの閾値が人と比べて低いのかもしれない。家で目玉焼きごはんを食べた時と、名古屋で高級ひつまぶしを食べた時の喜びの度合いにそこまで差がないように感じる。
凝りに凝ったフレンチなどをたまに食べると感動するが、それは味の複雑さや繊細さを堪能しているのであって、食という本能的な喜びではなく、美しい絵画を観ているときの歓びに近い。
ふとドビュッシーの「月の光」を聴きたくなり、YouTubeで検索した。音のひとつひとつがとても美しかった。ほろりと来た。
私もまたピアノを弾きたいと思った。しかし大人になってからの趣味は難しい。
大概の物事はただ気持ちいいだけじゃない。喜びを得るためには苦しい過程を経る必要がある。仕事後に摩耗した頭と身体で何かを練習するのはそれなりに大変だ。
セックスはただ気持ちいいだけだから、依存してしまうのかもしれない。
愛犬との動画をたくさんYouTubeにアップしている人が、「この人は犬に依存しているのでは?」とコメント欄で指摘されていた。
犬に依存しているという事が悪いことなのか、よくわからない。たくさんの愛を注ぎ、慈しむということは依存とほぼ同義なのではないか?
献身的という言葉はポジティブな意味で使われるが、自分の身を削って相手に尽くすって突き詰めればエゴだよね。
恋とか愛とか、執着とか依存とか
それらの違いを最近よく考えている。
メンタルが著しく落ちているためここしばらく酒を抜いていたが、一昨日久しぶりにビールを飲んだらあまりにも美味しかった。
本当に全身の血管に染み渡るような気がしたんだよ。感覚が鈍り、ふわふわ楽しい気持ちでまどろみながら、アルコール依存気味だった元彼を思い出したりした。もう関係ないけれど、元気でやってるの?
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