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『キツさ=集中治療室<営業時代』博報堂時代の経験が人生のリミッターを外してくれた(木戸)

先日、2020年9月16日より『HUMAN DEVELOPMENT ACADEMY(HDA)』の事業を開始しました。HDAの木戸と申します。

メンバーの3人は、

①三上昴(スバル):ゴールドマンサックス⇒FC琉球(Jリーグ最年少社長)⇒退職後、HDA事業を引っ張っています。

②島卓也=三井不動産、外資系ITデジタル企業に勤務中で、企業マンに軸足を置きながら事業を担っています。

そして僕、③木戸俊介
博報堂2009年入社⇒博報堂DYメディアパートナーズ勤⇒2017年2月に退職してからは、約3年半、独立してフリーで活動しています。

今はフリーではありますが、7年半、企業マンとしての経験=土台があることで、企業マン・フリーの両方の立場でいることが一番の強みだと思っています。

博報堂時代は、営業3.5年、スポーツ3.5年ほど経験させていただきました。仕事においては、人並み以上に成功も失敗も繰り返してきましたが、具体的な広告マン時代のエピソードは、おいおい紹介していきます。

このnoteでは、企業マンが良い、いやいやフリーの方が良い、とかそういうことを主張したいのではありません。僕にとっては、博報堂時代のサラリーマン人生も、その後のフリーの木戸俊介としての経験も、どちらも欠かすことはできません。両方あるから、今の木戸俊介がいると思っています。だからこそ、

★色んな働き方、生き方があるということをシェアして、結果的に、多くの人が目の前の仕事に忙殺されるだけの人生ではなく、自分の意志で取捨選択した人生やキャリアを歩める世の中になることを願って書こうと思います。

そういう意味では、特に、今後の将来に対する期待と不安が入り混じる同世代、★29歳~38歳の企業マンに向けて話すつもりで書けたら良いなと思っています。

1発目の今回の話。
それは、「交通事故で運ばれた集中治療室で思った率直な感想」です。

僕は、約5年半前に、交通事故により車いすになりました。リハビリは続けていますが、今も車いすです。

詳細はまた機会があれば書きますすが、それなりに大きな事故で、脳内出血もひどく、都内某救急病院に運ばれ、集中治療室に入りました。

気が付いたとき、ベッドの周りには、妻をはじめ家族全員がそろっていました。死と隣り合わせの状況の中で、顔はぼこぼこ、歯はガッタガタ、あの痛みは一生忘れません。

脳内出血で頭は朦朧、そんなときに妻にもらったなんのへんてつもない紙パックのりんごジュースが死ぬほど旨かったのを覚えています。間違いなく、身体の状態としては、自分史上、最も『死』に近い状態でした。

その後、2週間は身動きもとれず、首を少し動かす程度の状態で、集中治療室で寝たきりの時間を過ごしました。寝るか、目を覚ますかしかできなかったので、ずーっと、暗い部屋でうなっていた記憶があります。

その間、24時間、心電図を表示するモニターにつながれていました。でも、そんな状況で、モニターを間接視野で感じつつ、、、

それがPC画面に思えてきて、、、「ああ、入稿したパンフレット大丈夫だったかな」とか、看護師さんの携帯が鳴る音に反応して、、、「ああ、●●さんからの電話だ」とか、少し頭の中で考えて、「ああ、違う。今は病室か。」と思い直すことが何度もありました。

思考回路が不安定な中で、今思えば、当時の僕が気にする必要のない仕事の電話やイベントパンフレットの入稿締め切りに追われている気分だったこともよく覚えています。

後々、主治医にそんな話をしていると、「事故の影響で自律神経がおかしくなることがある」とも聞きました。ただ、半分は事故の影響もあったかと思いますが、おそらく、当時の仕事の仕方も影響していたと思います。

そのくらい、博報堂での仕事は、仕事と私生活が混同されるようなワークスタイルを送っていたのも事実です。(もちろん、その分やりがいも大きかった、ということでもありますが)

★そんな中、集中治療室で一番覚えているのは、「今よりも営業時代の方がよっぽどしんどかったな。だから多分大丈夫」という感想でした。

営業時代は、何をしても怒られ、ナジられ、呆れられる毎日。もう、一挙手一投足怒られていましたし、能力不足、キャパ不足で、数多くの信じられないミスを繰り返していた苦い記憶です。

先日、テレビである経営者が話していましたが「人生でリミッターが外れるような経験をすると人間は成長する。でも、そんな経験、なかなか年をとってから経験できない。みんなコワイし、冒険できなくなっていく。」と話されていました。

僕の場合は、そのうちの1つが、今思えば、集中治療室に運ばれて気づいた、博報堂の営業時代だったんだと思います。

「20時間続いた打ち合わせ」とか、「毎日続いたCMプレゼン作業」、
「毎週続いた企画アイデア出し100本ノック」とか、寝れない日々もありました。でも、全てが、今となっては全てが最高の思い出です。

それもこれも、多くの失敗やキツい経験から、なんとか部内での自分の立ち位置を見つけ、先輩や上司との関係をつくり、得意先の信頼を少しずつ獲得していくことができたからです。要するに、失敗を糧に成長してきたからだと思います。

そんな経験からすると、、、極論、寝てるだけで応援される集中治療室の環境なんて、屁みたいなもんだな、と。

本来なら、比べようのないキツさなので・・・
「強く生きたい!」という想いの裏返しでもあったと思います。あの時の方がしんどかったな、今なんて、生きてるだけで丸もうけ、そう自分に言い聞かせることで、なんとか前に進もうとしていた面もあるかと思います。

だからこそ、自身が経験した広告マンとしての経験談を、少しずつ、ここで紹介していけたらと思います。

その話を、少しでも、読んでくれた方が目の前の仕事のために活用したり、もし心の折れそうな誰かがいたら、その人のチカラになれたらと願っています。

今日から、100回に分けて、投稿を続けていこうと思います。

テーマは、広告マンに必要な要素を『心・技・体』のカテゴリに分けて、それぞれの成功や失敗をエピソードと一緒に綴っていきます。

頻度は、週に3回ほどのペースでいきたいと思っていますが、ちょっとまだ分かりません。うまくペースをつかんでいきたいと思ってはいます。

(事故から2週間後)

集中治療室を出て、一般病棟にうつり、テレビで営業時代に担当していた企業さんのCMを見ました。

「今もみんなは頑張ってるんだから、俺も頑張ろう。」って、純粋にチカラが湧きました。当時は4月で桜のシーズンだったので、リニューアルされた新春バージョンのキャンペーンでした。そういう新春のメッセージもあいまって、生きるエネルギーみたいなモノを感じ取ることができました。

CMや広告のチカラって、こういう時に届くんだなぁと実感したのも覚えています。

その日のCMのように、僕自身の博報堂時代の経験が、少しでも誰かのチカラになればと思います。

木戸

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