『エクアドール』自作解説③舞台となる場所-那覇・首里-
拙著『エクアドール』(双葉社)の発売にあたりTwitterに投稿した内容を以下に(若干の編集をしつつ)再掲します。
【元ツイート】
5/19(木)発売の新刊『エクアドール』に登場する場所をつらつらツイート。
— 滝沢志郎 (@Tacky_Shiro) May 14, 2022
那覇港!(飛行機から) pic.twitter.com/zAMC8CdyNI
那覇港
那覇港!(飛行機から)
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港の入口の砦!
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三重城(みえぐすく)
那覇港の入口につくられた砲台。ここに据える大砲を手に入れるために主人公と仲間たちは旅立つのです。
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三重城の上から。
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三重城の対岸には同じく砲台の屋良座森城(やらざもりぐすく)があり、港の入口を両翼から守っていました。今は那覇軍港内で跡形もないそう。
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今は三重城の周囲は埋め立てられて陸地と一体化していますが、本来は突堤でした。 これは読谷村にある復元された三重城。大河ドラマ『琉球の風』で使用されたもの。
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崇元寺
崇元寺(そうげんじ)も出るよ!
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みんな大好き「崇元寺下馬碑」。 これが登場する場面では、この碑が首里城の大龍柱と同じニービヌフニという砂岩でできていることを念頭に置いていただくとよいかもしれない…この石は年月とともに酸化して色が変わるのだ!
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首里城(守礼門、正殿、龍潭)
『エクアドール』の時代設定である尚清王代につくられたこの門。具体的な創建年代は不明ですが、作中ではつくられたばかりの真新しい姿で登場します(当時の呼称は『待賢門』)。
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守礼門のこの部分が好き。バラしてもう一回組み立てたい。
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首里城の御庭(ウナー)での外交使節団への辞令書交付式と壮行会の場面もあります。具体的な史資料などはないんですが、冊封使録や「おもろさうし」を参考にしながら「こんな感じだったのでは?」と推定して書きました。
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龍潭(りゅうたん)も出ます。爬竜船競漕の練習場所、および「旅の仲間」の一人を勧誘する場所として。
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浮道(長虹堤)
首里と那覇を結ぶ海中道路「長虹堤」がその名で呼ばれるようになったのは記録に残るかぎり近世になってからで、『エクアドール』の作中では「浮道」と呼んでいます。写真はジュンク堂那覇店近くの長虹堤と重なる道路。
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久米村(クニンダ)
那覇の中華街「久米村」は土塁に囲まれていたため、倭寇の来航時に住民が避難する場所という設定にしています。頼もしい旅の仲間を主人公たちがスカウトする場所でもあります。
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ちなみに久米村があった場所(現・那覇市久米)は今では平坦になってますが、戦前までは起伏に富んでいて堀もあったようです。孔子廟跡地の横の道がゆるい上り坂になっているのは、おそらく内兼久山という丘の名残ではないかなあ…。
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