自分は何と闘っていたのだろうか
上司と話をした。
「きっとこの会社にいる誰よりも、
特殊な環境に身を置いていたからだと思うけど…。」
私の伝えた内容からそんな話をしてくれた。
上司が私に伝えくれたことはこんなことだ。
「常に何かと闘っていて、
誰かより秀でていないといけないと
思ってしまうのかもしれないね。
仕事は競争じゃないから、
できること・できないことがあるのは
頭では理解できている。
人には人のそれぞれ役割があって、
得意不得意があることもちゃんと分かっている。
でも、心のどこかで、
できないことがある自分には価値がないと、
そういう風に考えてしまっているのかもね」
嗚呼、私はこの人には敵わないなと。
私は高校の時、所謂強豪校に身を置いていた。
365日のうち、350日程ハンドボールをしていた。
学校に帰って、家に泊まる生活を3年間送っていた。
勿論、都内からも他県からも優秀な選手が集まってくる。
ハンドボールはレギュラーは7人。
私の学校は、レギュラーがほぼ固定で、
滅多なことがないと控えの選手が出ることはなかった。
だから、常に自分と闘い、
先輩、後輩、同期と闘っていた。
そうしないと、
自分の存在意義がなくなってしまうと思っていた。
集団の中で、自分の存在意義がなくなることが不安だった。
試合に出れない自分は価値がないと思っていた。
身長は148㎝と小さいが、足はそこそこ速く(最速50m7’2)、
そして左利きだった。(左利きはレアキャラ扱い)
今考えると、当時プライドの塊だった。
試合に負けることも、
誰かに負けることも許せなかったんだと思う。
凄く泣き虫な私だけど、高校の3年間ほとんど泣かなかった。
先輩の代で試合に出てたが、3年生になってからは
入学してきた1年生にレギュラー争いに負け、
ベンチだった。
引退試合も泣かなかった。
あっけなく、高校3年間は終わってしまった。
当時は、試合に出ること以外に自分の価値はないと思っていたから、
控えでベンチに座るのが嫌だった。
でも、その経験は指導者になったときに大いに役に立った。
色々な人の気持ちが分かるって素敵だと思えた。
高校生の時は、自分ができればそれでいいと思っていた。
自己犠牲、なんて言葉は紙の辞書の中の言葉だと思っていた。
歳を重ねるにつれて、
自分よりも他者を慮ることの方が増えている。
そう勝手に思っていた。
でも心の中は違っていたのかもしれない。
後輩がこんな技術ができるのに、
なんで自分はできないんだろう。
他の人は理解しているのに、
なんで自分には理解できないんだろう。
あれも出来ないと、これもできないと…。
自分は役に立ちたいはずなのに、
なんで迷惑かけているんだろう…。
今日の自分もきっと上司に迷惑をかけている…。
そうやって、関係ない他人と闘って、
勝手に負けて、落ち込んで。
手を差し伸べてくれる人がいるのに、
その手を掴んでいいのか悩んで。
掴もうとした手を引っ込めて、結局泣いている。
大切な仲間のに、
私は一体誰と闘っているのだろう。
差し伸べてもらった手を掴まずに、
一体これから先何を掴むのだろう。
所属する組織の人は、
闘う相手じゃなくて味方なのだ。
目の前にいる人は、味方だ。
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