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過去の自分は岐路で何を考えていたか

今、転職をしようか迷っている。

会社の人は好きだ。
でも親会社の人たちの空気感は苦手だ。
現在、出向中なので親会社の人たちと仕事をしている。
元々SESで現場に出ている人がほとんどだったから
直接同じ会社の人に会う機会はあまりなかった。
自分は受託案件だったので、本社に出勤していた。
なので、たまに帰社してきた先輩たちと話すのが、
少し照れ臭いけど楽しかった。
勿論、自分の会社の中でも煩わしい人間関係もあると思う。
でも煩わしさよりも、やさしさを感じているから、
会社の人を好きと言えるんだと思う。

転職が頭によぎっているのは、仕事内容が一つの理由だ。
先ず、入社して約3年。
チームで仕事をしたことがほぼない。
ほぼ、という表現をしたのは、一応上司と仕事をしたことがあるからだ。
上司というのは、副社長であり、常務執行役である。
役員と一緒に仕事をできるなんて願った叶ったりだ。
凄くいい経験をさせてもらった。
でも、相談する人が副社長や執行役ということは、
忙しすぎて基本一方通行であることがほとんどだった。
それでもたくさん気にかけてもらっていたし、
体調を崩した時も凄く心配してくれた。
だから、私はお二人のことが人として好きである。
だけど、私は誰かと常に相談しながら仕事がしたかった。
あーでもない、こーでもないと言ってより良いものを
作りたかった。

本社に出向してからも、一人だ。
元々担当していた人は、業務委託されていた人のため、
代わりの私がきたので結局一人だ。
前の案件とは全く畑違いの分野でさっぱり分からない。
範囲が広すぎて勉強していても気が遠くなる。
ただでさえ、体調を崩してから文字を追うことが
しんどくなっているのに、苦手な横文字ばかり見ていると
目が回ってくる。

転職サイトに登録してみて、
現在の自分のレベルでも引っかかる求人があるのか、
色々とみているときに、ふと思ったことがある。

自分は今までの人生の岐路で、何を基準に決めたんだろう。

先ずは小学校。
小学生時代は地元の小学校に通っていた。
習い事は、水泳とピアノと、書道。
水泳もピアノも、書道も姉がやっているから多分やっていた。
小学校のソフトボールチームにも入っていた。
これも姉がやっていたからやっていた。
姉がやっていたという理由ではあったが、
どれもそんなに嫌ではなかった。

中学校は危うく受験させられるところだったけど、
多分試験に落ちて地元の中学校に行った。
姉はバレー部で自分もバレー部に入ると思っていたけど、
バレー部には入らなかった。
姉からは辞めた方がいいと言われていたハンドボール部に入った。
初めて自分の意志でやりたいことを決めたのかもしれない。
小さい決断は誰しも毎日行っている。
今日何をして遊ぶか、宿題をいつ取り組むか等。
でも、長期間頑張ることになるであろうことを決めたのは
この時が初めてだ。
結局ハンドボールを大好きになり、現在も続けているから、
この時の自分の選択はよかったと自信を持って言える。
(多分、バレー部に入っていても同じことを言っていたと思うが(笑))

高校受験はどうだっただろうか。
中学3年生の夏の大会で東京都ベスト4に食い込むことができた。
それもあり、JOCという年末に行われる各都道府県の選抜メンバーで行う
大会の選手に選ばれた。
そこでは大した活躍もせずに終わったが、
東京の強豪校3校から推薦をいただいた。
その中から1校を選んだが、選んだ理由は
「中学の時に憧れていた先輩が通っているから」と
「やりたいポジションをやらせてくれると約束してくれたから」
である。
本当に単純な脳みその構成をしていると我ながら思う。
高校選びでは若干後悔している部分もあるが、
ここまでくるとたらればになってしまうので、
自分の選択はいい選択だったと言い聞かせている。

大学を決めたときはどうだっただろうか。
行きたい学部は決まっていた。
なので、親には申し訳なかったが、片っ端から
関東近郊のスポーツ系の学部がある学校を受験させてもらった。
結果は惨敗。
唯一受かった学校に進学した。
浪人の選択もあった。でも私は教員になりたかったのだ。
教員になれるのであれば学校は関係ないと思っていた。

結局、教員にはならなかった。
大学生では部活に入らず母校の中学校でハンドを教えていた。
そこで見た、現実が私を教員の道を止めさせた。
私は体育の授業を教えたかったんじゃなくて、
ハンドボールがただ好きだっただけだ。
でも、大学入学も目的であった教員免許は取得した。
教育実習も行った。凄くいい経験をさせてもらった。
昔の私を知っている人には未だに「教員やらないの?」と言ってくる。
「教員にはならないかなー」なんて言ってごまかしている。
人に教える大変さと尊さを身をもって体感したから、
軽々と「教員なっちゃおうかなー」なんて口が裂けても言えない。
それだけ、教員という仕事に対して尊敬の念を持っている。
本当に学校の先生、お疲れ様です。

大学4年生。教育実習と就活が見事に被る。
エントリーシートが通っても面接の期間が教育実習と被って
面接を受けに行くことができないことが何回かあった。
教育実習前に最終まで進んだ企業からは、
実習中にお祈りメールが届いた。
教育実習が終わってからの就活は、
もう自分がやりたいことなんて分からなくなっていた。
この時点で私は自分がどうしたいかの意思をなくしていた。
周りが内定をもらっているから、
自分も内定をもらえるだろと安直な考えだった。
なかなか決まらなくて焦って、エージェントに相談した。
ここで、人に頼ることを覚えた。
あの時、行動した自分を褒めてあげたい。
エージェントさんに助けられて、今の会社に決まった。
と、いうよりも今の会社に内定をもらった時点で活動を止めた。
これ以上、祈られることに耐えられないと思った。

本来の採用人数は達成していたが、
それでも採用してくれたとエージェントさんは教えてくれた。
だから、私は勝手に今の会社に恩を返さないといけないと思っている。
そんなこと思う必要はないという人もいると思う。
でも今の会社に救ってもらったと私は感じている。
だから、この恩は返さないと。

さて、自分の人生を振り返って、
25歳の私はどう決断をするだろう。
2500文字書いても、結局自分のしたいことが分からない。
体調崩してから心の中が空っぽで、
自分の感情の引き出しが、一段また一段と消えているそんな感覚。

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