生きる意味
まず、意味なんて無いから始まります。
(最低でも138億年の宇宙から見れば、地球さえも意味は疑問視されるほど微小なものです。多分意味は無いでしょう)
でも、生きています。
だからこう考えました。
自分を心配してくれている人のために生きている。
もちろん、最低限の話ですよ。
生きがいや恋人や愛する家族を持っている人に、生きる意味への疑問なんてないでしょうからね。
さて、ここからはダラダラと続くこじつけです。
退屈と反感を覚悟してください。
それと、「大半は」という単語があらゆるところに付いていると思ってください。
親は子供を愛しています。
愛の定義はあいまいですが、とにかく愛しています。
なお、ここで言う愛はアガベーの方です。
余談ですが、愛が分かるのは人生の後半で、家族を育て孫のことをそろそろ考え始める頃からではないかと思います。
子を愛し、歳をとった伴侶を愛する意味が分かるようになる年齢からではないのかと思うのです。
まあ、余談です。
元へ戻って、恋人は愛し合っています。(大半はね)
大半の人は、新婚時代には伴侶を愛しています。年を過ぎると少し話が違ってくるケースもあるようですが。
親になると子供を愛しています。生物学的ではなく社会的や精神的な親ですけど。
逆に、子供は親を愛しています。これは、生物学的な場合でも。
ところで、愛してくれる人は、心配してくれる人でもあります。
だから、愛してくれる人や愛する人がいる人は心配してくれる人がいます。
さて、愛する人がいない場合。
商売での大事なお得意様は、あなたの会社の倒産を心配し、もしかするとあなたが離職しないように心配してくれているかもしれません。もちろん、自分が不便になるからという理由かもしれませんけど、でも心配はしてくれています。(こじつけが苦しいぃぃ~~~)
逆に、あなたがお得意様の場合はお店はあなたが健康にお金を使ってくれるように願っています。まあ、心配することの無理やりの広義の定義でしょうか。
同僚や上司や部下も心配してくれています。あなたのためではなく自分のためかもしれませんけど。
つまり、仕事をしていれば心配してくれる人が居るってことです。大半はね。
仕事以外に、サークルや同好会や部活でも同様なことでしょう。
仕事もしていないけど?
将来もそうですか?
それに将来恋人を持たないですか?
誰も分かりません。未来は無限大です。
というこじつけで、人間は誰かが心配してくれています。
だから、生きることに意味があるのです。
心配してくれる人のために生きていると。
繰り返しますが、これは最低限での生きる意味です。
人生は長い目で見ると喜びとうれしい驚きに満ちています。
それだけでも生きる意味はあります。
ちょっとプラス面に目を向けてみませんか?
bye
ありがとー