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人前で泣くか、泣かぬか。気付かぬうちに相手をコントロールしていないか。

人前で泣くという行為はある意味、相手をコントロールしようとする行為だと私は思う。

私は小さい頃からよく泣く子で、驚き、痛み、喜び、悲しみ、怒り。
本当に感受性豊かでさまざまな感情で泣いていた。

今の私が一番よく泣くシチュエーションとしては、怒り、憤りが多い。
自分の思い通りにならない時、本当は怒っているのだけど、それを表に出せない時。
私は自室で1人で泣くことが多い。

今の私は感情を正直に出すことがあまり得意でなくて、怒っていても、その時は笑って誤魔化してしまったり、退屈でも愛想笑いで凌いだり「いま、明らかに退屈そうにしたら、場を盛り下げるのではないか。感情をあらわにしたら、短期な人だと思われないか」常にそんなことを思ってしまう。友達相手でなくとも家族でもそうだ。

私はほんの4、5年前まではよく泣いて相手をコントロールしてしまっていた。
その時は無意識だったが、コントロールしていると気づいた時自分が恐ろしくなった。そして、やってしまったという後悔に苛まれた。  

気づいたきっかけはアンガーマネジメントの本を読んだ時だった。その名の通り、怒りをコントロールできる力を身につけようという類のものだ。

「泣いて相手に自分の意見を通そうとしていないか。被害者妄想になっていないか」
子どもの時、欲しいものがあって駄々をこねて泣いたりしたことがある人は多いだろう。この場合は特に問題はない。主導権は親にあり、この意見は大抵通らない。

小学生の時、喧嘩をしても泣かせた方が悪くなる。「あー 〇〇ちゃん泣かせた」小学生の喧嘩というのは泣いたもの勝ちみたいなところがある。これもある意味ではコントロールしていると言えるだろう。

問題はそれを大人になってからもしてしまうことだ。泣くことで、自分の意見を通す。あたかも自分が被害者かのように振る舞う。自分が傷ついているとアピールする。
相手に泣かせてしまったという罪悪感を抱かせることで、こちらの意見を通そうとするのだ。
大人になって人前で泣くというとはそれなりの理由がなければ、余程の信頼関係がなれば、あまりいい行為だとは言えないのかもしれない。

泣くという行為自体は悪いとこではない。むしろメリットも多い。泣くことで心がスッキリし、整理され、冷静になれるからだ。

自らの気持ちのコントロールするというのはとても難しい。アンガーマネジメントの本を読んで改めて感じた。家族、友人、恋人と対立した時、なんとかして自分の正しさを示そうとしてしまう。
それに涙を使わずとも示せる説得力を与える語彙を身につけることも大切だと思う。

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