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対談 ~国際オリンピック委員会 アスリート委員 太田雄貴氏~(後編)

世の中をより良くするために志を持って取り組む方が次々といらっしゃいます。その想いや活動を伺って発信することは、黒住教が「まること」な世の中の実現に向けて有意義だと考えます。
9月1日、北京オリンピックで日本フェンシング史上初のメダル(銀)を獲得した太田雄貴氏に黒住がオンラインでお話を伺いました。その要旨を2回に分けて紹介させていただきます。

【太田雄貴氏 略歴】オリンピック四大会に出場。引退後はフェンシング普及に尽力し、日本フェンシング協会会長も務めてさまざまな改革を実施。2021年8月にIOC(国際オリンピック委員会)委員に選出された。

黒住
フェンシングが貴族のものから大衆化したとのことですが、他にもいろいろと敷居が下がってきていることについてどのように考えられていますか。

太田氏
大衆化といっても、例えばウインブルドンはやはりとても格が高い。何でも大衆化するのは少し疑問ですね。格調高いものも全体を形作る一つだと思います。それも含めてダイバーシティ&インクルージョン(多様
性と受容。東京五輪のテーマ)。貴族的なものも大衆的なものも、それぞれの良さがあるのでバランスが大事です。時代の変化でパトロン的な存在が減ってきた結果、大衆化してきているのが実際のところかなと。

黒住
どこまで敷居を下げるか、門戸を広げるかの見極めが難しいですね。その点、太田さんはエンターテインメントの力を使って沢山の人にフェンシングを伝える活動を、どのような想いで取り組まれたのですか?

太田氏
私たちとしては、閉鎖的にしているつもりなんてないのに、まるでそのような競技人口しかいない現実に向き合いました。試合会場を公開しても人が来ないというのが問題だったんです。意に反して観客が来ないか
ら、来てもらえるように、楽しんでもらえるように、どうすればいいのかを追及して生まれたのが、手段としてのエンターテインメント化でした。

黒住
開く、閉じるという点では私たちにも似た課題があると思っています。初代の時代(江戸)には私たちは教団ではなくて、いわば大衆的な集まりでした。初代からずっと、「より良く生きるため」の哲学・道徳・価値観
などを一人でも多くの人に伝えたいというスタンスなんです。明治になって、教団になりました。そうすると、どうしても組織として内向きになる面が生まれてしまって、当然それも大切なのですが、今の時代に伝わるように取り組むべく、私としては努めているところです。もともと社会一般に受け容れられやすかったものだからこそ、間口を広げるためには、逸脱さえしなければ、選択肢は選ばないくらいのつもりでいます。太田さんの場合、
思い描いた開かれた世界観を実現するための一つの形として、杉山文野さん(フェンシング元女子日本代表。トランスジェンダー)の協会理事就任となったのかなと思っています。

太田氏
多様性という言葉を使っても、表面的なところが私も含めて誰しもあると思います。ですが、わからないものをわからないなりに学ぼうとはしています。それが例えば杉山さんに理事に就任してもらうことだったりする。いろいろな人を組織の中に位置づけるというのがトップの役割の一つだと思っています。

黒住
それが方向性の明示にもなるし、雰囲気や見られ方も変わってくるということですね。さて、先ほどの騎士道の話に戻しますが、昔であれば
生きるか殺されるかです。その中で勝つための心をどう作るのか。勝ちたいと思っていいのか、欲がある限りは勝てないのか、人それぞれだとは思いますが、太田さんの勝負観を教えて下さい。

太田氏
そもそもアジア人のフェンシング選手はとても少なくて、西洋人に勝つのはかなり大変なんです。勝つために何をしなければいけないのかというのを人"十倍"考えることを心掛けていました。普通は、目の前の相手との対戦という軸でしか考えませんが、どうやったら審判に偏りなく判定してもらえるかなどの構造的視点が重要だと思っていました。試合や大会全体の構造を理解すると、勝てる確率が高くなるかなということです。「より速く、より強く」に加えて「なぜアジア人が勝つのが難しいのか」という見方をする。それで人とは違う山の登り方ができるようになると思います。

黒住
実は大叔父が昔、空手をしていて、大学選手権で優勝するような選手だったようです。伝え聞いた話ですが、「勝とうとするな」という話をしていたそうです。勝ちたいという欲がある限りは勝てない、その欲を離れて無心になったときに勝てると。黒住教の「我を離れよ」という教えに繫がるのですが。

太田氏
そうですね。勝ちたい欲より自分のフェンシングをするという意志が、勝利に直結していくのかなと思います。ですが、やはり勝負事ですので、最後は強い気持ち、相手をやっつけてやるというような嫌な自分とも向き合わないといけない気もします。自分に負けないように、さらに相手にも負けないようにしないといけないとなると、精神力が強くないと難しい。その精神力がどこからくるのかというと、本人の才能だけではなく、普段の家庭環境、練習環境などがすごく重要だと思います。

黒住
それはアスリートという前に一個人としてどういう人間であるか、どういう心の鍛え方を普段からしておくか、に繫がってきそうですね。

太田氏
心を鍛えるというより、大切なのは納得感なんじゃないかなと最近は思っています。受け身の姿勢でいろんな練習をやらされるよりも、自分で必要性を理解して練習するのがいい。納得感のない状態で練習していると、一歩間違えるとフラストレーションが溜まったり、ネガティブな方にいくような気がします。

黒住
それはスポーツの練習に限ったことではありませんね。具体的にどのような納得感を醸成してこられましたか?

太田氏
例えば、IOCが主導する、オリンピックの素晴らしさを啓蒙する活動などは、選手からすると、なぜこんなことを…と思うんです。競技人口を増やさないといけないという課題意識が充分に共有できておらず、ただやらされているという感じが強かった。まず選手としっかりと話し合い、選手たちがやりたい活動に予算を付けるという形だとうまくいくと思います。結果としてまったく同じことをやるにしても気持ちは大きく違う。

黒住
どうやって盛り上げていこうかと人"十倍"考えてこられたからこその見方ですね。

太田氏
道のない所に道を造った人の方が結果的に得をするように思います。一見すると損ですが、私は結果的に一番成長させてもらえた。損得で考えたり、目の前のお金を追ったりしないことは大事だと思っています。

黒住
人は、つい前例主義で楽をしようとしてしまう。その中で、「変える」ということは、より難しい方に挑戦するということです。

太田氏
前例が無いから好き勝手にできるともいえます。出来上がっている道をうまく走ることも、道なき道を作っていくことも両方が必要。どちらかではなくて、ときに応じて最適なやり方で走れることが理想的だと思い
ます。こう考えると、広くわかりやすく自らが発信するためにタレントの立場を使って、道を切り拓いていくためにビジネスの発想で推進してくれる点で、武井新会長はまさに逸材です。

黒住
組織や環境に消耗されたり踊らされるのではなく、能動的に舞うイメージが湧きました。

太田氏
例えば、プロの世界に鳴り物入りで入ったのに、三年目には戦力外になってしまって、志半ばに諦めざるを得ない人も少なくない。はっきり言ってもったいないし、誰の責任なのかと思います。

黒住
協会や指導者のより良い在り方が考えられそうです。事は広義的に教育に繫がってきますね。

太田氏
選手としてはうまくなるため、指導者に言われた通りにやっている。連盟は大会を開催していて、学校はプロ輩出や、上位の学校に進めたい。全員の利害が一致する中、選手だけは必ずしも状況をわかっていないま
ま進んでしまいがちな気がします。

黒住
どこの世界でも主体的な教育が求められていますね。私は、黒住教という神道教団を運営していかないといけなくて、なおかつ次期教主として、宗教者として人の上に立っていかないといけない立場です。宗教的な布教活動が主ではありますが、いかなる組織も、まずは健全に持続することが生命線だと考えています。だから、教団を大きくするのではなく、世の中を良くするために、「教えを頒布する」という意味で布教をしてきたという本質を捉えたとき、太田さんとは僭越ながら、かなり通じるものを感じているんです。

太田氏
スポーツというのは、チームにおいても協会においても、ガバナンス(組織管理)をどうしっかり効かせていくのかが重要だと思います。今の時代、宗教法人などもそういう観点が無いとまずいかもしれませんね。人口減少の中に生き残っていく上では、プロリーグなどを指標にするといいかもしれません。全然関係ないように見えて意外に繫がるところもあって面白かったりするかなと。全く違う業界でも学ぶものがあり、それを取り込んで形にするというのは、今後すごく求められる能力の一つじゃないかと思います。

黒住
いろいろ調べてみますのでまた教えて下さい。今日は、希望を強くいただきました。パラリンピック真っ最中の貴重なお時間を、有り難うございました。

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