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アメリカに4年住んで、起業を決意した理由

初の海外

19歳の時、初めて異国の土地へ足を踏み入れました。

場所はオーストラリア、ゴールドコースト。

もちろん英語なんて何一つ分かっていなかったですし、ただただ流れに任せて入場ゲートへたどり着いた記憶が鮮明に残っています。

空港を出た瞬間、目の前に広がったのは今までに見たことがなかった風景。

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真っ青な空、そして何か柔らかい空気が流れていたことが自分の価値観を大きく揺らいだことを今でも覚えています。

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それ以降は、海外に行きたい!との想いが強くなり、海外留学を本気で目指すことになりました。

自費留学

と言っても何から始めたらいいのかわからなかったので、とりあえず図書館に行って留学に関する本を手探りで読み情報をかき集めました。

留学と言っても、行く国や形態はたくさんあります。
そんな中、どうせ留学をするのであれば多国籍な人、文化が入り混じるアメリカ合衆国に行きたいとはじめから思っていました。

簡単な留学方法として、30歳以下の人であれば誰でも可能なワーキングホリデービザというものが、日本と提携している国であれば留学することが可能です。

留学ジャーナル参照

日本人がワーキングホリデーを体験できるのは以下の22ヵ国・地域です(2019年3月現在)。
アジア:韓国、台湾、香港
太平洋:オーストラリア、ニュージーランド
ヨーロッパ:フランス、ドイツ、イギリス、アイルランド、デンマーク、ノルウェー、ポルトガル、ポーランド、スロバキア、オーストリア、ハンガリー、スペイン、アイスランド、チェコ
北米・南米:カナダ、アルゼンチン、チリ

アメリカで3ヶ月以上滞在するには、”VISA(ビザ)”と呼ばれる許可証が必要になります。

VISA(ビザ)って何?

アメリカへの留学方法としては、当初の自分には「学生ビザ=F1 VISA」が必要と分かったので正規留学 (大学留学)を目標に留学準備を整えました。

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ただ、家系上仕送りをしてくれる状況でもなくて、”留学なんて有り得ない”と猛反対をくらいました。確かにその通りで、奇跡的に国内の大学にも行かせてもらっている身の上に、尚更アメリカに行きたいなんて言う息子はキチガイ間違いないものだったと思います。(反省)

それでも諦めることができず、”金は自分で用意するし向こうでも何とか生きていく! ”と強引に説得をしてアメリカに渡るキャリアを選びました。

そこからは、バイト、バイト、バイト、バイトの生活。今考えると、もっと頭を使えば効率的な働き方があったんだろうと思いますが、その時はとにかく資金を貯めるのに必死にもがいていました。

必死な姿が伝わったのか、先輩などには色々と支援してもらました。想いを周りに伝えることは、大事です。

何とか1年半余りで、300万円近く資金を貯めることができました。

ホームレス生活からハーバード大へ

確か「世界仰天ニュース」だったか定かではありませんが、家族で夜ご飯を食べている時にこのテレビが流れました。 

心にジーンっと刺さりました。 

Breaking Night」という本も出版されています。

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アメリカ留学を目指していた20歳過ぎの自分にとっては、心支えられるものでした。報われない人でも、挑戦さえしていればチャンスはある、そんな風に素直に頭に入ってきました。

  

LIZ MURRAY(リズ・マレー)。

 

ニューヨークで生まれ育った彼女の母は、薬物依存で生活保護を受けている状況。。リズとリズの姉は母親をかばうため、生活保護で支給される3万円を薬物購入から避けるため、毎日隠すことが日課だったそうです。

しかし、最愛の母も病気(エイズ)になり他界。彼女の選ぶ道は、ホームレスになるしかありませんでした。


そんな中、彼女に大きな兆しが。


ホームレスながら何とか地元の高校教師に拾ってもらい、必死に勉強をする。家もない中でトップ成績を維持し続け、4年生の高校を僅か2年で卒業。成績優秀者のみが参加できるツアーで、初めてハーバード大学を訪問し、感銘を受け大学へ進学したいと決意。

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 しかしハーバード大学に通うには、4年間通して1400万円ほどの学費が必要で、ホームレスのリズにはとてもじゃないですが資金を工面することは不可能でした。

ただ、ここはアメリカ。
頑張る人は報われる国 (アメリカンドリーム) です。

ニューヨークタイムズ紙が援助する奨学金制度があり、倍率500倍の厳しい中、彼女はそれに何とか選定。

大学を卒業した彼女は、心理カウンセリングの会社を設立。

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だいぶ内容は端折りましたが、相当な苦労をしている彼女の生き様を見て、やはり”アメリカ”という国で挑戦したいと再認識させられたストーリーでした。

逃亡ビザ (アサイラム=asylum)

留学も3年目に突入したある日、何気なく入った家の帰り道のセブンイレブンでのエピソードが、自身の価値観を大きく変える出来事となりました。

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店員の若い男性と話をする中で、僕は日本から来た留学生だと答えると彼はこう返答しました。

君は恵まれてる。

彼は母国のアフガニスタンの戦争で、止む終えない状況でアメリカに渡ってきたそうです。アメリカにはこのような人たちを受け入れる人道支援プログラム制度「アサイラム」といった滞在許可証(ビザ)を発給しています。


僕はアメリカに来たくて留学している一方で、母国の戦争で止む無くアメリカで生活している人達もいることに、衝撃を受けました。

 

自身の人生の”価値観が180°覆る”きっかけとなりました。

  

その後、アサイラム以外でも色々な事情を抱えアメリカで過ごしている人達に数多く出会いました。それでも皆んな異国の地で強く生きていて、日本人としてのアイデンティティを強く考えるようになりました。

26歳の6月、滞在ビザが切れるのをきっかけに一旦帰国することに決めました。サンディエゴ空港を立つ際は「起業家になり、再度グローバルに生きる」と自身に約束して。

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180(ワンエイティー )株式会社設立

アメリカの地で自身の価値観が180°覆った現体験から、モノ、コト、ヒトの”価値観を180°覆す”事業者になると誓い「180(ワンエイティー)株式会社」と命名しました。

ホームレスからハーバード大学へ進学し、人生を切り開いたリズのように、人生は小さなきっかけから大逆転(180°)することが可能です。

自社でも「価値観が180°覆る」きっかけを世に提供し、日本だけに留まらずグローバルな会社に成長することをミッションに掲げ日々活動しています。

アメリカ・カリフォルニア州・サンディエゴで4年間過ごし、あらゆる価値観に触れてきました。現在ソーシャルビジネス事業化に向け構想中です。ソーシャルグッド、サーキュラーエコノミー、ベネフィットコーポレーションを実践されている方、是非とも意見交換をさせていただければ幸いです。