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GLAY第18曲『ここではない、どこかへ』とグロリアスの関係

輝きすらありのままのここではない、
どこかへと胸を焦がすよ
「ここではない、どこかへ」(1999年9月リリース)より

「グロリアス」も
「ここではない、どこかへ」も、

青春讃歌なんやけど、

その2曲がとても対照的でオモロい。

Teenage memoriesが、永遠の日々で輝いてて
いつまでも愛しくて忘れないのが
グロリアスなんやけど、

そんな青春の輝きすらありのままの「ここ」に
背を向けてでも、
まだ見ぬ場所に胸を焦がす決別の意志が
「ここではない、どこかへ」にはある。


「グロリアス」が懐古的なのに対して、
「ここではない、どこかへ」は、
その逆で、青春からの脱却である。

つまり、

誰ひとり別々のゴールに向かうことやサヨナラを言葉にできずはしゃいどる間にも、

「ひとつひとつ仕組み(モノ)を知れば、子どものままでは生きていけない」と、変わりゆく他人を遠くに見て、時代の息吹に身をさらしとる奴がおるんや。

アルバムを開いて照れとる間にも、

履き古しの靴飛ばしとるんや。

まさに、憂いの夜や。

でも、ひとつだけ言っとく。

「ここではない、どこかへ」のサビの歌詞は、当初、こんなんやった。 

小橋が来る時代の世 それは幻
届かぬ想いに 今ふたりは天使達

どういうことやねん!


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