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ひとつの幸せのドアが閉じる時もう一つのドアが開く。しかし私たちは開いたドアに気づかない:GLAY第33曲『PRECIOUS』

ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。しかし、私たちはしばしば閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気づかない
ヘレン・ケラー

この言葉が好きすぎる。
ただ自分の心の支えになるからという理由だけではない。

悲しい別れを経験したら、相手もいずれは新しいドアに気づき、私の事をゆっくりと忘れていく。そんな自分も、いずれは新しいドアに気づき、相手の事をゆっくりと忘れていく。いま仲間と楽しい時間を過ごしていても、いずれは終わりが来て、それぞれの新しい居場所を見つけていく。

救いでもあり、残酷さもある。そんな切なさに心が締め付けられるから。

でも、みんなそうやって変わっていくものなのだろう。変わりながら、生きていき、死んでいく。だから「今」というのはとても尊い。

心がすれ違い衝突した人であっても、逆に生涯の伴侶といえるような人であっても、いずれ終わりが来るのなら「今は一緒にいる」という事を大切にしようと思える。
という事で、今日は、槇原敬之さんの『テレビでもみようよ』を紹介し、、、、、、


って、なんでやねん!

この記事、GLAYの紹介記事な。さて今日は2010年の名曲『PRECIOUS』を紹介するー!

「どんなに愛し愛されても決して一緒に逝けない」
「なぁ、俺はどんな夫だった?お前を幸せにできたか?」
「安い指輪を天にかざし、ありがとうと涙した」
「人は馬鹿は生き物ね。失うまで気づかない」

こんなにストレートで、悲しくて、心を締め付ける愛の歌が他にあるだろうか?

ちなみにこの曲はTAKUROの知人の実話をもとにした曲だという。とはいえ、本人や関係者はともかく、当事者ではない私たちにとってはそれは豆知識程度に留めるべきあって、実話ではなく曲そのものに目を向けるのがマナーというものである。

また『PRECIOUS』は、ベストアルバム『Great Vacation』リリース後の初のシングルであることと、G-Directという自主流通サービスを立ち上げる直前のシングルであるということが、このシングルの特別感を増している。なぜなら、そのようなシングルはただ一つ『PRECIOUS』のみであるからだ。2つの時代の過渡期に出された唯一シングルなのだ。

つまり、ロックの原点を追求し続けていた2006年〜2009年に終わりを告げ、自分たちのやりたい音楽をありのままに届ける時代の布石と考えることもできる。

G-Direct以降はHISASHIやTERUやJIROの楽曲も増えていくのだが、その前時代として「素のままのTAKURO」が垣間見える曲やと思う。

そう考えると『PRECIOUS』のような作品がシングルカットされるとしたら、前でも後でもなく2010年であるべきだという必然性が生まれる。

ありがたや、ありがたや。

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