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190316

wfs = weekly flash storyを始めてから一ヶ月近く経過しています。
過去wfsはこちら。

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折られた翼
White Stew
規則の海

今のところどれが一番面白かったのか、意見いただけたら恐悦。
(どれも面白くねーよ!でも良いです)
これは少し立ち止まって考えてみたコメント日記です。
作品の方が読んでもらいたいので、単なる箸休めだと思ってお付き合いください。

イタイ子

よく会う人からは直接、読んでるよ、と言ってくれる人もいます。
それでも、みんなに読んでもらえているか、面白いと思ってもらえているか、ここから広がっていくことがあるのか、本当にこれで正しいのか、実際まだわかりません。
完全に力不足でしょうが、前に書いていたやつが一番いいね数が多いというのも悔しい事実。

ただし、続けられているということ、有言実行できているということ。
これは自分の中で大きな進歩です。

僕をあまり知らない人からしてみれば、ああ文章を書いている人なんだねぐらいですが、元々の友人たちやよく知っている人からしてみれば、なんか"イタイ子"になったとか"ポエマー"だなあ、とか思われているかもしれません。
(そういうの考えてる時点で少しイタイというのは堪忍。)

ずっと体育会系で、外見・普段の言動や行動をしているフィジカルな僕自身と、内容含めて文章表現には、大きな差があると思います。
仕事で、あるサービスのコピーとコンセプト文を書いていた時に「タッチが繊細で女の人が書いていると思いました」と言われたこともあり、僕のことを知らない人は、大きな輪っかのピアスつけてるちゃらんぽらんな出で立ちで酔うとタチ悪い人が書いてるとはなかなか想像できないのかなと...

そんなこともあり、小説書くのが専門、とか言いつつも特にサッカー一緒にやってきた友達には見られるのが恥ずかしかったりします。

音楽や美術は感覚的に人の感情に影響を及ぼしやすく、どんな表現であってもなかなか"イタイ"と思われないのに対し、言葉、特に小説だったり詩などの文章表現は感覚ももちろんありますが、その人の考えや気持ちが裸で表現されてしまうのと読んだ人が直接的に受け取ってしまうために"イタイ"と鼻で笑われてしまいます。

そう思われてしまうのを怖がって、逃げて。
結局一番の近道は賞を獲るだけの作品を生み出し、社会的に文章で表現することを認められなければならないのだと思っていました。
その考えはもちろん今でもありますが、賞のための作品創りには正直かなりの心の余裕と時間が必要で、今の自分にはそれを続けられるだけの意志がありませんでした。

そもそも書くことを怠るのが一番悪で、表現を恐れて逃げていたら文章表現の資格ないので、週一創作を始めているということもあります。

続けるということ、進歩するということは苦しみを伴います。
"イタイ子"と思われ続けることも、それがイタく無くなるぐらいに本気だと示せるようになるまでには必要なことなのでしょう。

来し方

ずっと続けてきたけれど悔しい想いばかりのサッカー。
学生時代、その為だけに早稲田の文芸・ジャーナリズム論系の創作実践ゼミに入ったのに、課題以外で自主的な創作をほとんどしなかった。

どちらも圧倒的な努力不足と、やると言ったことが続けられない弱さに原因がありました。そして、何かを言い訳にしてやらない自分を正当化していた。また一つ問題なのが"そこそこ"いいところまではいくということです。
どこかで満足してしまっていた自分もいたのでしょう。

そんな自分を変えたくて、インターン行ったりフランス行ったりしてみて、その時々にやりたいことはあったけれど、本質的にやりたいことはもちろん書くことで、それでも続かなくて、向いてないんかなとか思ったりして、いやでも人間だから自分が好きで自分の才能信じてみたくなっちゃうもんで、とりあえず卒業制作は創りきって大学卒業しました。

ただ、本当に卒業制作に向けて書いていたものは別のもので、それは作品として大事にしようとしすぎて全く手がつけられておらず、フランスで書いていたこの『シャット』という作品をやむなく終わらせて出すという感じでした。(賞に応募しています。これじゃ少し難しいと思うけれど)

そんなことがあり、とりあえず有言不実行で三日坊主で、最悪な何もできない男だったということです。
それだったら恥ずかしくても、忙しくても、週一というやらねばならぬという制限をつけて書きまくってみるのもいいのかなって。
そしてこれまで、一ヶ月近く続けられていることに、とりあえず自分自身の進歩に安堵です。

行く末

ただ続けられていればいいという訳ではなくて、やはり何かの結果を残さなければ続けている意味もない訳で。

単純にただ良いものを書いていれば広がるものではないし、そもそも読んでくれた人は良いものって思ってもらえているのかどうかも怪しく、その辺りがうまく解消されると嬉しいなあと思っていたりします。

ここ2回くらい、SNSだったり自己承認欲求へのアンチテーゼみたいなことばかり思ってきて書いていましたが、(最近の僕のテーマになりつつある)
実際に書いていて、いいねをつけてくれた人はきっと読んでくれたんだろうし嬉しいなと思ったり、先日アップしたものにFacebookで懐かしの人からコメントくれた時は嬉しくて少し感動しました。

コピーがクライアントに刺さった時とかもちろん嬉しいけれど、それはあくまで出し手と受け手の関係が明確でコメントを絶対もらえるものだし、かといって近しい人にこれどうだったって聞いてコメントもらうのとは全然違いました。
ということで、酷評でも構いません。何か思ったことがあればコメントをいただけると、嬉しいです。

とまあ、これもただコメントもらったりいいねもらうことがゴールではないので、(基本誰かの心や考えに何かしらの影響を与えるという意味ではゴールなのですが)より多くの人に見てもらうためには、どうすればいいのか、とか考える必要があるんだろうなあと思ったりもします。
(ただ、作品単体でどうするかっていう風には考えていきたいですが。作品が良くて拡散されてフォロワーがつく。これが一番ベストですがなかなか難しいですね)

何かいいアイデアをお持ちの方はお願いいたします。
ガチガチの感じでストーリー書いて欲しいんだけど、みたいな依頼ももらえるようになったら最高ですね。広告的観点で一つのアウトプットとして小説を使う、というのも今の目標ではあるので、どんなことでも構いません、お題をいただけたらそれに基づいたものを書いたり書かなかったりします。
(仕事になる場合は本気で書きます)

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なんともなしに書いてきましたが、
人に届けるのは非常に大変で、だからこそどんなにその数が少なくても届いた事実が心を打ち付け、その数が増えた時どんな興奮なんだろうか 。
(今の仕事も結局、考えることは同じですね。)

最後に、こういう日記みたいなものを書いて、これが一番恥ずかしいよな、なんで書いたんだっけと思ってしまいました。
ここまで時間費やして書いたんだから、全部消すのも寂しいので、あげさせていただきます。単純に、もっと感想も野次も罵声も全て欲しいんだと思います。
一旦一区切りの一ヶ月として、とりあえずはこれからも続けていこうと思っているので、よろしくお願いいたします。

iNa

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