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雑記 牧神の午後

 バレエと聞いても、レオタードにつま先立ちで、跳んで跳んで回って回って程度の認識の私でしたが、偶然にもバレエ公演の映像を観る機会に恵まれました。それが何を隠そう「牧神の午後」です。モダンバレエに位置するというこの作品の雑感と少々の調べごとを、ついに男もすなるバレエといふものを観たり!という興奮のもと、記しておきます。

 まず鑑賞に至るに、フィギュアスケート界の皇帝、かのエフゲニー・プルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」という競技プログラムを度々観ていたことが契機になりました。その中で、連続して特徴的なポーズ(ちっちゃくなっちゃいましたがヘッダー参照)をとる構成がありまして、どう考えてもニジンスキーに捧げていることは間違い無いのですが、そもそもニジンスキーって誰だよ、と常々思っておりました。ついに重い腰をよっこら持ち上げて、ニジンスキーさんのことから調べてみよう、と思い立ったのでした。

 ヴァーツラフ・ニジンスキー(1890〜1950)、この悪役じみたファーストネームのロシア人男性は、人類初の世界大戦の起こり燻る時代に活躍した、「悲劇の」と冠すべき天才バレエダンサーだったそうです。圧倒的技量と表現力による高名、同じく名高きプロデューサーとの同性愛的繋がり、南米公演最中でのバレリーナとの恋(勢いそのまま現地で結婚)、統合失調による早すぎる引退からの、長きに亘る精神病院巡り、などエピソードは様々ですが、カープ女子ばりのにわかな私には、申し訳なくも与り知らぬ所です。ともあれこのニジンスキー氏が初めて振付けを手掛け、バレエとその音楽界に物議を醸したのが、件の「牧神の午後」という訳でした。

以下雑感

 劇の進行に準じて、初見の心持ちを思い出しながら纏めるにあたって、先にあらすじをご紹介しますと、牧神は水浴び中のニンフ達にホの字で迫ったらみんな怖がって逃げちゃった。以上です。何も知らずに観てもわかるシンプルさでした。いざ「牧神の午後」の雑感に往生しましょう。といっても、観劇にはとんと縁の無かった無知蒙昧の申す事ごとですので、雑言をお目にするよりも、永く高められた芸術をそのまま御覧ずるべきかと思います。また、公演による美術・演奏・演者の異なりなどその他一切のことは分かりません!だって初めてバレエ観るんだから。

 まず響くのは、フルートの気怠い独奏。なんのこっちゃと思う間に優雅なオーケストラの入りと共に文字通り開幕です。ヌーヴォーな森と滝の一枚背景と、中心に岩を模した台がひとつあるだけのシンプルな舞台に驚きです。しかし木漏れ日のように照らされた天に比して、巌の周囲には陰が落ち、その中で笛を手に寝転ぶ者は、角らしき巻髪に尖った耳、しなやかな肢体に黒の大斑、何より陰にあってなおその身にのみ光を浴びる姿は、笛の音とあいまって、人ではない存在と一目で判じられます。それも束の間、寝起き全開の神は上唇を剥く程の大あくびと共に、例の特徴的なポーズをとるのです。これはもう明らかです。こいつは草食動物系半獣神すなわち牧神です。だって葡萄喰ってるし。そして何より、両の手を面を成すように下に向けた姿は、偶蹄類のデフォルメだったのです。多分。そんなこんなでニンフ達も横一列におてて繋いで登場し、バレエっぽい雰囲気に。多い時でも三枚程度の面で構成された舞台上は、まるで遠近法の発明される以前の絵画のようで、特に同列で背景的に舞う六人のニンフ達がすれ違う様は、一段弱い照明の当たりも手伝って、影同士が交差する時のような滑らかな薄さを感じさせます。そしてオーケストラの盛り上がりと共に、いよいよ牧神が動きます。ニンフ達は不安よな。ここからは存在せぬのに真に迫る牧神の姿を、具現化こそホモ・サピエンス・サピエンスの持つ優れた能力であるなあと気を逸らしながら、おそらくはニンフ達と同じくドン引き顔で眺めていました。情欲に肉食も草食も無いと言わんばかりに歯をひん剥き、においを貪る牧神を見て、牛に惚れられたらこんな気持ちだろうな、と今後一切無益なシミュレーションが脳内で行われました。その後の天女の羽衣的やりとりは、先の衝撃でぼんやりとしています。その後牧神はニンフの一人が残した衣を抱き、嗅ぎ、頬ずりし、情欲をぶつけます。アニメ「ノートルダムの鐘」のフロローがエスメラルダのスカーフに顔を埋めるシーンを想起しましたが、牧神の歪みない欲は比較的爽やかに受容れられました。最後は衣を床に優しくたゆたえ、股間を擦りつけ、一瞬の緊張、そして恍惚の表情を浮かべながら虚脱し眠りにつく牧神の姿と共に、安らかに夜の帳が降りて閉幕します。嘘じゃないですよ?百年前に公演されてますよ?と茶化すのも素人的には面白いですが、それは十分にバレエを理解する人がやってこそと思いますので、素直にまさしく雑感をしたためます。まず、美しさを求めた動作の一つひとつに目を奪われました。跳んで跳ねてが、私の持つバレエの印象と異なり少ないのはそういうものなのでしょうか。ともかくその分、しなやかさと緊張感が同居する佇まいに息を飲みます。インナーマッスルやばそう。また、ダンサーの肢体を眺めることに集中できる簡素な舞台と照明も非常に好印象でした。やはり時代はミニマル。そしてオーケストラによる演奏には、先の通り開幕から惹きこまれてしまいました。何よりも「牧神の午後」という物語についてですが、これは言葉を伴わない形式でこそ、表現されるべきと思いました。述べるよりも感じる、の精神を謳っている、ような気もしないでもないので、肉体による表現と、音楽による感情の揺さぶりを強く感じる体験が肝要ではないかと思うのです。少なくとも映画館で牧神の発情面や股間のアップを観たいとは思いません。ニンフ達の水浴びは臨場感たっぷりにいろんなカットで眺めたい気もしますが。

 

 

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