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センター試験。私の受験戦の話と受験生に向けて。

・今日は雪が降っていた。センター試験の日だとニュースで知った。あれは3年前?かな、もう3年も前なんだ。

・二度と戻りたくない受験期間だった。やりたくもない不得意な勉強に向き合い、ストレスでストレスで自分の人生を呪い、胃腸炎になり病院に通いながら勉強していた。

・自分の生き方や考え方は大学受験関連のエピソードに基づいている。今の自分を構成しているものだ。喜ばせたいと思った恩師。心の底から嫉妬したライバル。自分の能力の絶望。そして、希望。

・集中力がなく、成績が悪かった自分はそんな自分が恥ずかしく嫌いだった。努力はしてみるも変わらず、公立の高校は落ちてしまった。塾に行き金はかかっていたので周囲の落胆さにとても申し訳ないと思っていた。

・公立に落ち入学したところは都内の私立の高校だった。私立の偏差値58程度のとこだ。当時の担任に進まれ制服が可愛いから決めた。進学科と国際科、特進科などがあったが、背水の陣で1番勉強を強いられる特進を希望した。「公立に落ちたら自分の責任。甘えずに、勉強をする3年間でいよう」

そんな決意をした高校に決まってしまった。そして偶然双子の兄貴と同じ高校だった。本当に偶然。「同じ学校は行きたくないって言っただろ」父に怒鳴られながら私は「ここしかいくとこないじゃん!!!」と足をバタバタして嘆き悲しみ号泣した。最悪だ、本当に死にたいぐらい自分の居場所はなかった。

・4月から通う高校の制服を買いに行った時。私立の制服は何十万もし、かなり高い。父が一気に2人分を払い、冷や汗をかいているのを感じた。帰りの車は空気が重かった。双子の兄貴が私にボソッと言う。「落ちたお前が悪いんだよ」「うるせぇ!」そう反射的に返したが、私はあの時の感情を絶対に忘れない。携帯にこっそり「スタディーサプリ」という勉強アプリをいれた。

・そんな思いを抱き、入学した私立の高校。話すと長く、また今度話したい。

結論から言うと、私の高校生活は人生の全てを変えられたぐらいの転機になった。偏差値が総合的には50以下。ひどい時には38とかだった私は卒業時には60-65の偏差値になっていた。本当に何も知らないことばかりだった。都道府県も言えず、英語の月も会えなかった。でも、そんな状態からとにかくやった。

初めて真剣に向き合ったのが勉強で、初めて死ぬほど悔しいと思えたのが勉強で、初めて自分の可能性を知れたのが勉強だった。

大学受験勉強をしていた3年間。私は当時ずっと「まだまだだ、まだ足りない、もっと私頑張れ」ずっと思ってた。

でも数年経って、やった当時の私にこう言えるよ。「限界じゃないと思ってた時でも、精一杯頑張ってたんだよ」

もがいて、苦しくて人生が分からなくて暗闇にいる時でも頑張ってるから、君は大丈夫だよ。

センター試験はボロ負けで、第一志望の慶應大学は落ちて、第4希望ぐらいの法政に入った。悔しかったけど、入学時には考えられないぐらい成績を伸ばし入れた大学だ。まぎれもなく、自分で掴んだ進路だ。

別にどこに行っても良い、大人になれば学歴なんて関係ないから。ただ、死ぬほど頑張ってみるのもいいんじゃない?

そんな言葉を受験生にはかけたいものです。



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