聞き手を放置する「自分語り」は本当に良くない
反省しています。
心の中で両手を胸の前で組んで、懺悔しています。
欲張りすぎた。。相手を置き去りにして突っ走ってしまった。
つい先ほどまで、あるプロジェクトの同期に送別会をひらいてもらっていました。プロジェクトを離れても別の現場で一緒に何かをやりたい!であるならば、プロジェクトの時に見えていた以外の自分の顔・活動を可能な限り共有しておきたい。そんな欲に駆られた結果、
「で、8rukunこれから何するの?」
という質問に答えるのに1時間弱、ずっと喋りつづけました。
時間にして落語の大ネタと同じくらいの長さ。文七元結とか地獄八景亡者戯くらい聴けちゃうし、なんだったら観覧後の友人との「どうだった、今日の落語?」の会話時間も含められそうなくらい長尺でした。その間、同僚たちは突然の置いてきぼり。本当に良くない。良くないぞ!
自分の中では拙いながらにも、ロジックがあるわけです。
この話に共感してもらうには、事前にあの話があると良くて。そうすると、その前にこれを話しておいて…
みたいな。
でも、その思考プロセス、共感をゴールにするなら不正解です。共感とは一方通行で得られるものではなく、双方向で編み込みながら生まれてくるものだからです。
優しい同僚sはわたしの自分語りに面を喰らいながらも、温かく聞いてくれました。いや、本当にすみません。突然のジャイアンコンサートに巻き込んでしまって、ごめんなさい。そして、辛抱強く聞いてくれて、ありがとう。
全部伝えなきゃ!という欲を手放せるよう精進します。
ごちそうさまです。
まさかお金が振り込まれることはあるまい、と高を括っているので、サポートされたら、とりあえず「ふぁ!」って叫びます。