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■ビートルズとインドと、コリー


映画『Meeting The Baetles in India』を観てきた。ビートルズがインドへ行ったときの話(ドキュメンタリー映画)だ。

当作品の公式サイトから引用させていただくと、こんな内容。

1968年、23歳のポール・サルツマンは、失恋の傷を癒しに北インドのガンジス川のほとりにあるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのアシュラム(僧院)の門を叩く。
そこで思いがけず出逢ったのは、世界的ロックバンド「ザ・ビートルズ」のジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人だった。

彼はそこで瞑想を学びながら、ビートルズと共に過ごした奇跡のような8日間を多くの写真に残した。

ビートルズはインド音楽や東洋思想に影響を受け、やがて超越瞑想運動の創始者マハリシに招かれて訪れたインドでは、代表作にして最高傑作と謳われるアルバム『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム』)の楽曲の多くが生まれたとされる。

サルツマン監督が記録した貴重な写真の数々、当時の彼らのパートナーの女性たち、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴやドノヴァン、俳優のミア・ファローの姿もとらえながら、ベールに包まれていたインド滞在期のビートルズの素顔と、その楽曲制作のプロセスが紐解かれていく。

いい映画だった。

ビートルズがインドへ行って、さまざまな影響を受けたことは知っていたが、あまり詳しいことは知らなかった。
そして、この作品で初めて、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーという人の存在を知った。彼はこういう人だ。

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(1918年1月12日-2008年2月5日)は、ヴェーダに由来する超越瞑想(トランセンデンタル・メディテーション、TM)とその普及を行う諸団体の創立者で、ニューエイジ・ムーブメントの一翼をになった。超越瞑想は、シャンカラ・アーチャーリヤ(ヒンドゥー教シャンカラ派の僧院の法主)であったスワミ・ブラフマナンダ・サラスワティ(英語版)の教えを受けつぐ、マントラ瞑想法(マントラ・ヨーガ)の一種である。所定のマントラ(静かに復唱する単語、音、または語句)を目を閉じて心の中で唱えることで、徐々に神経活動を抑え、意識を深みに導くことで、最高の境地に達するという瞑想法である。(ウィキペディアより)

映画を観終わったとき、ふと「ん? あのマハリシというヨガの師匠、どこかで見たことがあるぞ?」と思った。そうだ、僕が持っている英語本の表紙の写真の、〝あの人〟に似ている!

帰宅後、いそいで本棚を探した。
やっぱり!!

アメリカで出版されたマハリシの著書

「Maharishi Mahesh Yogi(マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー)」と書いてあるではないか!
本のタイトルは『Science of Being and Art of Living』(超越瞑想―存在の科学と生きる技術)。日本語翻訳本も出ているらしいが、この本は、1963年に出版された英語の原書だ。

この本は自分で買った本ではない。
いまから約30年前の1992年頃、アメリカ(ニューオーリンズ)に住んでいたとき、「コリー」というアメリカ人の女の子から貰った本だ。正確には、「貸してもらったけれど、返してない」本である。

ずっと本棚の隅っこにあったこの本、まったく読んではいなかったが、「コリーとの思い出の本」として、捨てられずに取ってあった。

「ああ、この表紙の不思議な行者のような人は、ビートルズが師事したヨガのマスターであったか・・・」
ビートルズインドと、コリーがつながった瞬間だった。

コリーは当時、僕が通っていた地元のコミュニティカレッジで知り合った。赤い髪の、ほかのアメリカ人の女の子たちとは違う、何だか不思議な雰囲気を醸し出す、コロラドはデンバーから出てきたばかりの女の子だった。
当時僕は20代後半。彼女は確か20歳くらいだったと思う。
僕らは、「photography(写真)」のクラスで知り合い、仲良くなった。

コリー、懐かしいな。
いまごろどうしているだろう?
元気ならば、もう50歳か・・・。
いろいろな記憶がよみがえる。

今日はここまで。続きはまた。

ニューオーリンズで知り合った、デンバー出身のコリー


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