見出し画像

書くということと、その中身


書くということと、その中身



ブログを書く、noteを書く


というときの「書く」という行為について。

「書く」というと、本来、鉛筆だとかペンだとかを手にとって、文字を紙などに書く。


というイメージがある。

でも、現代社会において「書く」行為は


ペンを持って、紙に文字を書く

というよりは

思っていることを文字に「起こす」ことを指しているように思う。

ブログとか、noteとか。


とか考えていると、大昔から「書く」という行為は文字に「起こす」行為だということに気づく。気づいた。


徒然なるままに、日暮らし硯に向かいて
心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく「書き」つくれば...

むう。なるほど。

自分の思い込みだった。


noteだとかに「書く」内容について


noteに書く内容は普段自分が生きているなかで
考えたこと、考えていることとか気づいたことを書きたいと思いながら文字にしている。
(といいつつ、これが3記事め)



ただ、自分が考えているなかで

ふむ、これは不特定多数の人に発信していいものか

と考えて、

やっぱりやめておこう。


と思い直して、書くのを止めることが多々ある。(下書きにはどんどん未完成のものが溜まる)

これは日常生活の中でも同じことが言えると思う。

この話、この人にしてみようかなぁ、やめておこうかなぁ
と悩んで、話したり話さなかったり。

仲が良いから、自分の奥深くで考えていることを共有する


そんなに近しくない関係だけど、(だからこそ)自分の奥深くで考えていることを共有する


なんてこともある。


それを誰にも共有しなければ、それは秘密になるのだろうか。


不特定多数の誰かと共有をして、
ああ、この気持ちわかるなぁとか
それはわからないなぁ、とか
何かしらの共感や反対意見を得たい気持ちもある。

という気持ちも、ここで共有していいのだろうか。



のループが続いて今日も下書きが増えていく。(今日はひとまず採用)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?