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書くか、書かまいか





書くか、書かまいか


書くか、書かまいか。

かれこれ3ヶ月ほど考えている。
書こう、と何度も思ったが、何を書けばいいのか。
もともと人と話すのが得意ではない性格だから、
書く、という行為にもその影響が出ている。


人と話すのが得意ではないのは、なぜなんだろう。
自分でもよくわからないが、自覚しているのは
人と人の話をするのが苦手だから。


学生のころ友人Tと話していた時のこと。


「世の中の人の日常会話は8割が愚痴で構成されているらしい。」


という話を聞いた。

たしかに、と思った。



街のカフェでコーヒーを飲んでいると聞こえてくるのは
「うちの夫がさあ〜、xxxxxxxx」(xに入るのは愚痴)


立ち飲み屋でアルバイトをしていた時、お客さんが話していたのは
会社への不満、同僚への愚痴。


あの子がさあ〜、あいつがさあ〜



世の中には、不平・不満に思うことなんて数え切れないほどある。
うまくいくこと、たのしいことはきっと上手くいかないことに比べれば
たぶん少ない。


誰かへの不満、愚痴、そこから導かれるものは
だいたい二つだと考えている。


一つは、不満や愚痴への共感からくる、愚痴の対象になる
人への負の感情の増幅。


もうひとつは、「また(愚痴が)始まった」「そんなのどうだっていいよ」の(聞き手にとって)不毛な時間。


愚痴は、不満である。人間関係を正の方向へは導かない。
不満は愚痴、とは限らない。愚痴ではないなにかに取って換えたい。

満たされない感情は、放っておいて、
なにか人(の愚痴)ではない話がしたい。

この間、帰省した時に高校時代の親友に会った。
いつも、彼と会うときは人の話はほとんどしない。


「一年間500円玉貯金をしたんやけどさあ、、、」

「今欲しいリュックがあって、その形が真四角なんよ」

「イチジクはもっと世の中の人に知られるべきだ!」

とか。

人より、モノ・コトの話の方が好きだ。



人とうまく話せないのは、モノやコトが好きだからなのかもしれない。

人とうまく話せないのは、世の中の会話の20%の構成要素で話そうとしているからなのかもしれない。

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