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社会が生まれる3人目




昔から3人でいる、という状況に上手く馴染めない。
3人でいる、というより
自分ともう二人がいる、という感じになる。

中学生のころ、先生が言っていた。
「社会というのは3人目から生まれる。」

たとえば
じゃんけんを二人でしても、
勝ち負けの結果が出て、その結果に文句をつけようと、ぶつける相手はその相手だけ。
敵も味方もない。

三人でじゃんけんをする。
勝ち負けの結果が出て、「いまの後出しやんなぁ!」と文句をつけ、もう一人を味方につけることができる。


3人以上になると、敵や味方ができるというのが言いたいわけではなくて
3人以上になると無意識的に分断される。


だいたい、誰といても3人の場合は
自分+二人になる。
3人で歩いていたりすると顕著に現れる。
前に二人が歩いて、自分はその後ろを歩きながら
前の二人の話を聞いたり、相槌を打ったりしている。

振り返ってみても、前を歩く二人に属した記憶がない。

「自分が後ろを歩く一人」だと気付いたのは確か中学2年生の冬。
友だち二人と映画を観た帰りのことだった。
前を歩く二人は観た映画の感想を楽しそうに語っていた。
自分はそれを後ろから眺めていた。

ふと、気づいた。
「あれ?自分はいつもこの立ち位置だな」

それに気づいたからと言って、前の二人が羨ましいとかは思わなかった。
ただ、いつも後ろにいる、ということに気づいただけだった。


それからずいぶん時が経って、大人になった。
この間も、三人でいる(歩いているわけではなく座って話していた)時に
ふと「あ、また”後ろの一人”だ」と気づく場面があった。

三人でいる時、私はいつも”後ろの一人”であることに変わりはない。


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