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受け入れるって愛だと思う

環境を帰る前から薄々感じていたことだけれど、
受け入れることはなのではないのかな。と環境を変えてから改めて実感している自分がいる。

休学する前、個別指導塾の講師をしていました。
来る生徒はみんなそれぞれ個性があって、感じる想い、考えがあって、
僕は生徒の話を聴くことが好きでした。

講師をしていると親御さんとお話する機会も沢山ありました。
話を伺っていると生徒と噛み合っていない感覚を味わうこともよくありました。
簡単に言ってしまえばコミュニケーション不足。で終わってしまうのだけれど
そこにはそれだけで終わらせてはいけないものを僕は感じていました。

・大学に行ってほしい
・勉強してほしい
・一般的な結婚をしてほしい
etc..

「親として子どもにこうあってほしい。」
という思いは
「子どもにとってのこうしたい。」とは異なることが多い気がします。

それは
そもそも自分の観念を揺るがしたくないという理由もありますし、
大人である親の方が知っていることが多く、それを子どもに伝えるための願いであることもあるからだと思います。
それは時間の価値だったり、知識の価値だったり。

けれど子どもはそのことを知りたくなかったり、親に対する反発から親の話を聞かない。
そこにコミュニケーションの不和が起こるのだと思います。

自分の観念を揺るがすから拒絶するという観点から言うとLGBTの問題にも当てはまってくるのではないかとも感じています。

この記事ではレズビアンであることを公表している「さなさん」に対するインタビュー記事なのですが、この記事の中で

「レズビアンであることを認めない。」

という言葉が出てきます。
これは自分の観念を守るための拒絶に当たるのだと思います。

確かに自分の信じてきた観念に反するものをは怖いものです。
また望んでることが違うと不満に思うものだとも思います。

だからこそ、相手の違いを全て受け入れることはできなくても一部だけでも受け入れることは
お互いが嬉しくなると思うし、それはなのだと思う。



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