読書感想文 痴人の愛

谷崎潤一郎という人の文章をいつか読まなくてはならない、と思いながら生活していたのになかなか手をつけられずに20歳(もう少しで21歳)になってしまった。
谷崎潤一郎、もちろん存在は知っているけど特に理由もなくずっと読んだことがない作家だった。読みやすいのか読みにくいのかすら知らないまま生きていたけれど、20歳になってから出会った純文学好きの子から、「僕は谷崎潤一郎が好きなんだ。面白いから読んでみなよ、多分だけど君は谷崎の文章好きだと思うよ」と言われた。ただのおすすめではない、君は好きだと思うから、という勧め方だった。それならば、と思い手に取った次第であった。

「痴人の愛」には真面目で財産もそれなりの容姿も持つサラリーマンの男(河合)と、カフェーの女給をしている物静かで美しい少女(ナオミ)が登場する。河合には純粋無垢な少女を引き取り、教養を身につけさせいずれ自分の妻として向かい入れるという密かな夢があった。カフェーで働くナオミは美しい容姿であったがどこか沈んでいて血色も悪く、河合は彼女に俺が教養を受けさせてあげるから自分の女給として働かないかと持ちかけ、2人は洋館で暮らし始める。

蝶、もしくは美しい蛾のような小説だった。
序盤、河合とナオミはまるで友達のように暮らし始める。お伽話のような、決して実用的とは言えないハイカラな文化住宅を持ち、ナオミには英語や音楽を習わせ、ときどき2人で写真を見に行ったり、家の中でお馬ごっこをしたりする、そんな生活。夢の中のような幸せな生活の描写が印象的だった。2人の間には「了解」があり、その了解を超えることなく、ただただ楽しく朗らかに暮らしていたのである。しかしナオミがどんどん大人へと成長していくにつれ、2人の関係は変化していく。ナオミは段々わがままに生意気になり、河合は少しずつ、最初の目的とは違い彼女の「肉体」へ惹かれていくことになる。ナオミは贅沢を欲しがり、新しい着物や高級な出前を頼むようになり、、男友達が河合の知らないいつの間にか増え彼らと親しくなっていく。それを知っても河合はナオミを厳しく叱ることができないのである。

中盤あたりまで読んだ時点で私はナオミの魔性さに惹かれながらも、言いなりになってしまう河合を気の毒に思っていた。はやく目を醒しなさいな、いつまでこの少女に支配されているんだ、と。河合とナオミはその後、昔のようなお伽話の生活をもう一度送ることとなるが、それも長くは続かない。ナオミが多数の男と遊んでいることを河合は知ってしまうのである。河合は怒り、ナオミを家から追い出す。さあこれですっきり話が終わる、はずもない。まだ100ページ以上残っている。ここから何が起こるのだろうかと私はやや恐怖しながら読み進めた。

ナオミが出ていってしばらくして、河合は出ていく間際の彼女を思い出す。「男の憎しみがかかればかかる程美しくなる」そんな顔。憎らしく、それでいて底の知れない妖艶な表情が脳内から離れなくなっている。きっとこの時点で、もう彼は彼女の支配下に置かれていたのだと私は思っている。この後、河合はナオミと昔関係を持っていたが背かれてしまった、浜田という男に話を聞き、ナオミの居場所を探る。浜田はナオミがいろんな人の家(それも西洋人を含む)を転々としていること、多数の男を誑かし、彼らから酷いあだ名を陰で付けられていること、もうナオミを諦めたほうがいい、ということまで河合に告げる。河合はここですっぱりナオミを諦めると誓う。ここを読んだときのサッパリとした気持ちと内臓を抉られたような痛々しい気持ちが混ざったあの感じがどうにも私には忘れられない。あんなに美しい、可愛い、と保護した少女が売春婦のようになるのか、そしてついに河合もナオミのことを諦めてしまうのか、と、あんなに途中まで河合がナオミから手を引くことを願っていたはずなのに、いつの間にかナオミとまた元のように仲良くしてくれないだろうかと思ってしまう自分がいたのである。いつの間にか、私もナオミに酔っていたようだった。

ナオミとすっかり会わなくなった河合がある日家にいると、ナオミが荷物を取りに訪ねてくる。冷淡に呆れながら彼女を迎える河合であったが、なぜか眼を向けないではいられない。彼女は何日かに分けて荷物を取りに来るが、昔よりももっと白い肌に細い眉、赤い唇、まるで西洋人のように美しい彼女の姿が河合の脳内に染み付いてしまうのである。指先に触れることさえ勿体なく感じるような、そんな艶やかな姿をした彼女に陶酔していく河合は、ある日同じように荷物を取りに来たナオミに「昔のようにただの友達としての関係になる」ことを提案される。決して「いや」と言えない気持ちがどこからか燃え上がり承諾する河合。
ここからが本当にとんでもないのだが、ナオミは事あるごとに河合を誘惑する。わざと肩を見せ、しかし決して触れさせず、着替えようとして初めて河合の存在に気がついたような顔をして部屋を出ていき、「友達の接吻」という挨拶をし、甘い香りを漂わせる。このある種官能的で魅惑的な描写、それにすっかり翻弄される河合の図があまりにも衝撃的だった。元はと言えば「少女に教養を受けさせて一流の女に育て上げよう」という思考だった真面目な河合が、今や会社よりも仕事よりもナオミに夢中になり、彼女の肉体と言葉に惑わされ、苦しめられていくのだ。その様子さえも面白がるナオミはあまりに魔性の女だった。すっかりナオミの支配下に置かれた河合は、彼女に惚れ込み、彼女の罠に嵌ったまま生きていく。

この話を書いた谷崎潤一郎は「聡美派」と呼ばれる小説家だ。美を至上のものとしてとことん追求していく、といった感じだろうか。とことん追求していくということは、一般的な倫理観や道徳などから離れていくこともあり、一種のマゾヒズムを体現することもある。また、同じ時代には芥川龍之介のようなどこか暗く退廃的な文学も同時に発表されていた。大正時代〜の不安が蠢くこの時代、美を追求し尽くした谷崎の小説は、人々には明るく写ったのかもしれないな、と思った。

主人公の河合は谷崎同様、美を追求する性格であったように感じられる。仕事ができ財産も容姿もそれなりにある彼が、美しいが我儘で教養もない少女に惚れ込んでいく様子はまさしく美の追求の行き着く先であったのではないか。一度離れたのにも関わらず、やはり抗えないナオミへの執着、人生を狂おしてまで好きになってしまった少女の支配下にされた男性。最後にはこう書かれている。

これを読んで、馬鹿々々しいと思う人は笑って下さい。教訓になると思う人は、いい見せしめにして下さい。私自身は、ナオミに惚れているのですから、どう思われても仕方がありません。

痴人の愛

これをバッドエンドと捉えるかハッピーエンドと捉えるか。少なくとも私は、河合という男がすっかり屈服してしまう相手を見つけたことは奇しくも喜びであり幸せであったのではないか、と思った。

河合とナオミ、年齢も育ちも家庭環境も異なる彼らはどこか孤独を感じているようにも読んでいて感じられた。お互いにどことなく依存しているようにも思った。美しさによって惹きつけられた2人。周りから見たらきっと馬鹿馬鹿しくて見せしめとなる2人であるが、それでも依存し合える関係性を抱いてしまっているのであれば、それが彼らの愛なのだと思う。

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