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超次元的実戦川柳講座 X-6 「花咲く助詞たちのキンピラゴボウ・キンピラゴボウたちの花咲く助詞」

 ハロー世界! 超次元的実戦川柳講座です。今日はいきなり「句」から入ってゆこうと思います。一応前置きをしておくと、「は」「に」と言った「助詞」の使い方から、川柳がどのようなイメージ、像を結ぶことができるのか、そのあたりに重点を置いて話を進めますので、ご注意もそちらに向けていただけるとありがたいです。
 あ、さらにねんのため。本記事は2024年1月20日に行われた「世界がはじまる十七秒前の川柳入門」の内容を基にしています。この記事を読んで、ご興味をお持ちになった方はどうぞ!→世界がはじまる十七秒前の川柳入門
 もっとちなみにこの記事は一部有料ですが、マガジンの定額購読によりおとくに読めます。→別冊・非情城市
 というわけで前置き長くなりましたが、どうぞ。


Ⅰ.妖精は早口 

妖精は酢豚に似ている絶対似ている  石田柊馬

 
 まず、石田柊馬さんのあまりにも有名な句からはじめてみたいと思います。有名すぎてもう付け加える情報もないと思いますが、一応補足しておくと、2004年の「玉野市民川柳大会」の題詠「妖精」に出された句、ということはまず頭に入れていただきたく思います。
 で、この句に関して言われてることって、「妖精は」の「は」に関わることが多いんですね。おそらく通念となっている文章を読んでみましょう。

「妖精」という題に対して川柳人はどのような句を作るだろうか。ピーターパンやネバーランド、虹を渡ってくる妖精物語ではおもしろくない。柊馬は意表をつくように「酢豚」のイメージをもってきた。「母親はもつたいないがだましよい」という古川柳があるように、川柳は問答構造だと言われている。「母親は〜」という問いに対して穿ちの答えを提出するのだ。柊馬は穿ちとは異質な「酢豚」という強烈なものをぶつけてみせた。

『はじめまして現代川柳』小池正博(書肆侃侃房)、12頁

 で、このへんは柊馬さんに「川柳って、どうやって作るんですか⁉︎」という質問をしたことがあって、

「AはBである、という構造はやめなさい。問答体の寸胴になってしまうから。「〜は」と書いたら、そこを「が」か「の」にしてみるんですよ」

 と、私の無礼な質問に丁寧に答えてくださったわけです。
 
 だからこの「妖精は」という句は、「〜は〜である」という「問答体」を極限まで推し進めることによって、「問答体」を超越した句になっているわけです。この辺、「問答体」については以前の講座のnoteで書いているので、参考にしてください。→超次元的実戦川柳講座 X-0「世界がはじまる・そして川柳をはじめるひとに」
 
 で、「妖精は」の「は」は「問答体」への挑戦として引いて来られた「は」である、というのが定説になっているわけです。
 でもそれ、ほんとうにそれだけかな? ということを考えてみたいと思います。もしかして、「問答体」への挑戦、では片付けられないなにかがあるのかもしれないな、という視点のもとに今日の話をはじめます。

 あらためて、なぜ「妖精は」の「は」だったのか?

 そこには、「は」による「妖精」の特権化と、「酢豚」と「似ている」に絡んでくる事情があるように考えられます。

・妖精「は」ほかの誰でもなく

 まず「妖精は」の特権化について。
「妖精は」と「は」と言表されることによって、「妖精ではあるがほかのものではない」という「ほかのものの排除」がなされているわけです。「わたしは」「ロックンローラーは」などに使われる「は」のニュアンスを思い浮かべてもらえればわかりやすいと思います。
 で、「ほかのものの排除」がなされている、ということは、「妖精」というものが既に前提されているわけです。「妖精」が在るものとして前提されている、と言い換えてもよい。
「妖精は」によって、「妖精」がこの世の中から「えらばれた」ものであることの意識が、句の中に存在しているわけです。これは、題詠の「妖精」だったから、という状況を逆手に取ったメタフィクショナルとも言えるかもしれない。いずれにせよ、この時点で「妖精」というものは「定義」を済ませられていることになります。

・「妖精」と「酢豚」をわけるもの(こと)

 で、ここから先に考えてみたいのは、「妖精」と異質なものとして「酢豚」があるとして、ではこのふたつは「どのように違っているか」ということです。
 まず考えられるのが、このふたつの「次元の違い」です。「意味の場」の違いと言ってもいいかもしれない。あるいは、このふたつに対して、われわれがどのように視ているか、という視点の違いかもしれません。
 ちょっと整理しましょう。

 妖精——実在しない
 酢豚——実在する

 という大雑把な分け方ができます。しかし、ここで注意したいのは、「妖精」の「実在する/しない」のありかたと「酢豚」の「実在する/しない」のありかたは、根本的に異なっている点にあります。「妖精」が実在するとしても、それは「酢豚」の実在のありかたとは異なるし、「酢豚」が実在しないとしても、それは「妖精」の実在しないありかたとは異なっているわけです。
 これは「実在する/しない」のありかたがずれている、とも言えますし、われわれが「妖精」を視たときと「酢豚」を視たときの立ち位置の差異と呼べるかもしれません。

 ちょっと立ち戻って、「実在する」とはどのようなことか考えてみましょうか。「実在する」とは「像としてわれわれが共通認識を持っている」ことです。もっと言えば、「定義づけることができる」ということになります。
「妖精」の定義のありかたと、「酢豚」の定義のありかたは違っていますね(ファンタジーと中華料理、霊的と食品の名前……)。
 で、ここで「定義」ということを考えると、先ほども言った「妖精は」の「は」により「妖精」が定義をなされている、ということに帰結するわけです。「妖精は」によって「妖精」が前提=定義をなされているのなら、ここで「酢豚」との「定義」の違いが劃然とあることになります。
 ここによって、「妖精が酢豚に似ている」ではない、「妖精は酢豚に似ている」という存在のあり方が鮮明になるわけです。「妖精は」という「は」による「妖精」の特権化こそが、助詞「は」の果たす役割になっている、と言えると思います。

 せっかくなので、「助詞」という点に注目してもう少しこの句を見てゆきたいと思います。

・「酢豚」は「酢豚」になる途中

 つぎに問題となるのは「酢豚」は「酢豚」でありうるのか? という点です。
「〜は〜に」という構図がここにおいて発生しています。ここは「と」ではないんですね。「妖精は酢豚と似ている」という並列ではない。「に」によって、ある志向性が発生していることになります。「酢豚に」という「酢豚」のほうを向いた志向性。
 これは、「〜は〜に」の持つ運動性と呼べるかもしれません。モノがモノとして、あるいはモノ以上のモノとして流動している。つまりここで「酢豚」は「流れ」のなかのある一状態として記述されているわけで、「酢豚」が「酢豚」でなくなる可能性を蔵していることになります。
 この一連の流動は、助詞「に」の大きな役割と言えます。「に」によって、助詞の選択によって、句はここまで変わるわけです。助詞によって、句がひとつのかたち、イメージを結ぶと言ってもよい。ここで、「妖精は酢豚に似ている」から導き出される像を、像①としておきます。

・早口でさけべ「絶対似ている」

 ではつづいて、逆に助詞が「省かれている」事態を見てみましょうか。

似ている絶対似ている

 ここ、「絶対に似ている」と間違えてしまうひと、結構多いんですよ。確かに自然に「絶対」を強調したいなら、「絶対に」と入れたくなりますよね。ただ、この句では「に」が不在なんです。これは何をもたらすのか。
 この「に」が無いことによって、早口感はありますよね。なんかこう、なにがなんでも言わなきゃいけない、って取り憑かれたような、「絶対似ている」の切迫性。
 ここで、「に」を落としてでも、「似ている」という「このこと」を言わなければならなかった、強迫性が浮かび上がってくるわけです。
 これは、他者、すなわち読者に対して、「自分の信念」をあかす(あるいは、あかしているように見える)メカニズムが露出されていることになります。
 そうなると、ここで析出されるのは、「誰がこの「似ている」を語っているのか?」という問題になってきます。この「妖精は」の句に関して、「語り手」の問題はあまり重視されてこなかったように管見されますが、この「絶対似ている」の「に」の不在によって、一気に「語り手」というものの存在があらわになっているわけです。
 どうしても語らなければならなかった「似ている」。これを語る語り手の立ち位置、あるいは異常性みたいなものは今後もっと追求されて良い問題だと思います。ひとつ言うなら、「妖精」と「酢豚」を1レベル以上上からみている視点というか。この「話者」あるいは「主体」は「似ていない」ことも知ってしまっているわけです。だからこその切迫感であるわけですね。この「主体」の像を像②と呼んでおきます。

 この①②は片方が片方を包む、というよりお互いがお互いを隠し合っている印象を受けます。特にの「話者」「主体」の隠されかたは、実に巧妙です。
 そう言ったことをみてもお分かりの通り、川柳というジャンルは、「主体」が不確定なのですよ。これは以前とりあげた問題でもありますし、またいずれ検討するべき問題でもあると思っています。
 いずれにせよ、この「主体」の問題にまで、「助詞の不在」から踏み込むことができるわけです。だから実際に句をつくるときに、こうした事柄を頭に入れておくと、「どんな助詞を使うのか?」というクエスチョンに手掛かりができてくるのだと思います。

 今日はその実例として、あえて石田柊馬さんの句をもう少し見てゆきます。文中、引用句はすべて石田柊馬さんの句です。できれば、「自分だったらこの助詞を入れる」と考えてみてください。同時に、「なぜその助詞を入れようと思ったのか」という裏付けも思いつけばなおよしです。実戦なので。
 なお、言うまでもないことですが、句がすごい人って、助詞がすごいですよ。これは言うまでもないです。
 

Ⅱ.他人事はみずからの位置を明らかにする

縄跳びをするぞともなかは嚇かされ
/岬までの道をもなかはがんばって
/閲兵はつづく油揚げ50000トン
 

「〜は」のかたちになる句を拾ってみました。このなかにあるのが有名な「もなか」です。
 その「もなか」のほんの一部と、「閲兵」の句を引いてみました。

・「もなか」は電気人間の夢を見るか?

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