Asian Kung-fu Generation『十二進法の夕景』を聴いて。


注:あくまで、私個人の解釈ですので、Gotch氏の意図とは全く違うものである可能性が非常に高いです

アジカンの中でも、最も好きな曲の一つの『十二進法の夕景』。
まず気になったのは、タイトル。
十二進法ってなんぞやって話。

単純に、作中に出てくる時間の事を指してるっていう考えが正しいのか、それとも違う意味もあるのか。

12という数字の意味。
同じ時間を表すものであれば、一年の月数。
西洋だったら、12星座、東洋だったら十二支で双方ともに時間に関係してはいる。

他には、1オクターブ、1ダース、オリンポス12神柱、十二使徒、12球団、十二人の怒れる男、12モンキーズ、etc...

多分、調べればもっと出てきそうだけどとりあえずこの辺で。

上記したもので、モチーフになってそうなものだと、1年間の月の数、1日の時間(アナログ時計での文字盤の数)、1オクターブ、(アジカンが関東学院出身という理由で)十二使徒くらい。

そうなってくると、夕景の意味が曖昧。
"夕景"と言う言葉自体は、夕方の景色というどストレートな意味。
調べていて気になったのが、読み方が"ゆうけい"とせっけい"の2パターンあるということ。

"ゆうけい"の場合、夕方という意味で、"せっけい"の場合だと、夕方の景色を意味するようで。
Gotchがどっちの意味で書いたのかは分からないけど、語感を重視して、"ゆうけい"で夕方の景色を意味させた可能性と、"ゆうけい"の同音異義語を成り立たせるために用いた可能性のどちらかだと思う。

おそらく、HIPHOP愛好家であり、押韻を用いた作詞法を取るGotch氏の事を考えると、後者か。

この事を踏まえた上で、歌詞を読んでいこうと思う。

以下、考察

期限切れかけの
電池で鈍る毎日 絶縁

後のを読んでいくと、時計の針に例えた主人公と誰かの関係性を描いているように読めるが、この部分だけを抽出すると、
期限切れかけ=終わりかけた関係
電池=+と−に例えた2人
と読め、絶縁で別れが来たとなる。

リセットしたアラーム・タイマー
愛想もなく過ぎる日々だけ

ここのリセットが2人の関係の復縁を伺わせているように見えるが、アラーム・タイマー、すなわち、終わりがある時間に辿り着いたとなる。

十進法で巡る想いを
何処かで追い抜いた針が 胸を刺して

ここで、十進法という単語が出てくる。
恐らく、十進法は何かの隠喩である。
10の関係する事物だと、距離を表すメートル法、手の指の本数がある(前述した、宗教が関わるとしたらモーセの十戒)。

追い抜くという動詞の流れを汲んで、距離が離れていった、と捉えるのが無難。
追い抜いた針の"針"の部分は、時計の長針と短針(または、時針、分針、秒針)の隠喩であり、主人公が動きの遅い短針、相手がより動きが速い長針となる。
胸を刺すは時計の針と裁縫などに用いられる針を掛けたのだろう。

引き裂いた場所から 溢れ出して
降り積もる青い砂

この一節の砂も、時計の一種である砂時計のことであろう。
針が刺した胸から、降り積もる"青い"砂。
青とは、英語訳したブルー、つまり憂鬱な感情ということではないだろうか。

誰のせい?×4

"長針"と"短針"に関する人物は他に登場しない。
自分にある2人の関係の責任を転嫁しようと自問自答していると読める。

十進法で巡る想いを
何処かで追い抜いた針を巻き戻して
ふたつ心に付け足して進めて

ここで、2人について、関係性についての考察をしたい。
旧世代的な考え方ではあるが、異性同士のカップルの多くは、女性の方が背が低く、男性の方が背が高いのだと思う。
つまり、詞の一人称である主人公の"短針"は女性、相手である"長針"は男性であり、一般的な異性のカップルであると考えられる。

閑話休題。
針を巻き戻すという行為は、長針と短針の距離を近づける、"あの頃"に時間を戻すという二つの意味があると思う。

十進法にふたつ足して進めて...
かなり難解である。

メートル法、距離だとどこまでも離れていく。
しかし、時間、アナログ時計の文字盤だと一周してまた出会うことができる。
つまり、十進法(距離)を十二進法(時間)にすることで、もう一度巡り会うことができるのではないか、という希望的観測でふたつ足すことで、十進法が十二進法になったのでしょう。(ちょっと強引?)。

デジタル時計 数字の列に溶けて
振り出しまで僕を舞い戻すように

ここで曲が展開していく。
デジタル時計は年月日が示されるものも少なくない。
振り出しに戻るというのは2人が出会った日までもどすという事だろう。

朝焼け 凍りついた海に
月が沈んで光る太陽に僕は迷子になる

ここで言う、"凍りついた海"とは、
凍っている=動かない
ということで、変わることない2人の出会いを比喩している。
暗い夜が明け、太陽光に照らされた思い出が露わになり、過去の記憶に迷子になったのだ。

夕景 夜が音を立てて
追い出す影 君をやり込めるように

そして、流れるようにやってくる夕方、夜が思い出の君の影を追い出してしまう。
思い出すら消えようとしているのだ。

さあ行け すべて灰になっても
自分で消した時が最後に
君の最後になる×3

思い出を、影を消さないために、主人公は太陽へと接近していく。
灰になったとしても、思い出の自分だけは消えないために。
肥大化した自身の影が、君の影すら飲み込んでしまう、そして、それが君の最後になるのだ。

以上が、私の『十二進法の夕景』の考察。

感想
Gotch氏の類稀なる文才が、遺憾無く発揮された歌詞だと思います。
一つのワードに対して、複数の意味がかかっており、解釈の幅が広がっていきます。

マスが抱くアジカンに対するイメージは、恐らく、リライトだと思うのですが、このような奥行きのある曲も多くの方に、一聴してもらいたいですね。

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