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税務訴訟資料から透かしてみえるもの

介護を理由に退職し、少し時間の余裕ができた頃
好きなことをしよう、と思って租税訴訟学会に入るために税理士の登録をしたんですが、

夫から、税理士登録の費用、税理士会の会費を払ってまで、勉強したいのか?と聞かれ、専門家の色々な意見が聞きたい、面白そう、と答えたことに
夫は理解できない、という顔をしていました。

そもそも租税訴訟学会に入りたいと思った理由は、国税不服審判所でしていた仕事が大好きだったからで、不服審判所でしていたような仕事がしたい、そのためには、弁護士や研究者の考え方に触れることが必要だと感じていました。

今はご縁がなく、不服事案に携わる仕事はしていませんが、いつかは、「納税者の正当な権利利益の救済」ができるような仕事をしたいと思っています。

そのために税務訴訟資料(判例)を見るようにしているのですが、
実は面白いから読んでいる、という本音のところがあり、
一度、税理士仲間に判例の面白さを語ったところ
ドン引きされ、変な人と認定されました。

それでも判例を読むのが好きなんです。

なぜなら、判例からは、原告の人間くささを感じます。
人のお金に対する感情、裁判をしてでも処分の取り消しを望む主張に人格が透けて見えます。

国税で仕事をしてきた時に納税者を観察していた癖なのかもしれませんが、
お金に支配されている人の主張は、文章になることで、税に関連したドラマを見るよりもよっぽどストレートに人格が見えます。

証拠から事実を認定し、法律に当てはめ、判断し、結論を出す
勧善懲悪のドラマのように感じる時もあれば、モヤモヤすることもあり
フィクションではないので、こういう感情を持つことは不謹慎だと思うのですが、私にとっては面白い読み物です。

私が税務訴訟資料を読むようになったのは国税不服審判所に入り、
上司の弁護士さんから、担当する事案を判断するのに近い判例をみつけるようにと言われたことが始まりです。

なかなか、射程にあった判例を見つけることができずに、判例ばかりを読むことが仕事の日もありました。
自分では近いと思う判例をもっていっても、弁護士さんからは違うと言われ、また判例を探すことを繰り返し、20件以上探しても見つからないこともありました。

そのうち時間がかかりすぎて「これを使って」と弁護士さんからメールで送られてくるんですが、確かに私が見つけた判例とは射程範囲の違いが明らかで、どうしたら見つけられるのか、検索する時のキーワードを教わってみたりもしていました。
それでも、判例の射程はなかなか当たらなかったのですが、それも楽しいと思っていました。

そのほかにも不服審判所の仕事は、
直接、納税者から話を聞き、言いたいこと、主張を整理し
法律に当てはめ、証拠から事実を認定し、どう判断するか、
調査審理の作業は組み立てていく面白さがありました。

そして、その内容を裁決書として通知するのですが、
沢山の人の手が入り、スキのない美しい裁決書ができると
とても満たされた気持ちになりました。

一生この仕事をしたいの希望は認められませんでしたが、仕事の面白さ、やりがいをずっと忘れられずにいました。

そして、国税局で仕事をするときも、判例を引用することは有益であり、
知識と経験が増えていくようで、判例を読むことが増えていきました。

判例の面白さの一つに、参考とする判例が昭和のものだったりします。
そこに、法律の重みを感じます。

憲法の「法の下に平等」、租税公平主義の考えは、判例にある立法趣旨や法令解釈から読み取れます。

租税公平主義は「担税力(租税を負担する経済的能力)に即して公平に配分されなければならず、各種の税法律関係において国民は平等に取り扱われなければならないという原則」で、これを見失い、主張すると、あっさりと棄却されるんです。

それは、水戸黄門の印籠を見せられた時の、痛快さに近く、昔も今も変わらないことに安心します。
そして、法律は知っている人の味方だと言われることに納得してしまいます。

例えば、原告が、確定申告書に添付する書類を失念し提出したことに「やむをえない事情」があると主張し、その1つとして、「税理士でも毎年の税制改正を迅速かつ正確にフォローするのは困難である」とか「税務署の広報活動も十分ではない」など言っても、「制度の不知は「やむを得ない事情」に当たらない」と一言でバッサリと切り捨てられるんです。

主張できるもの、できないものを知ることも学びになります。

また、租税訴訟学会で、裁判に勝った判例から弁護士さんの苦労話などを聞くことがありました。
どうやったら、「納税者の正当な権利利益の救済」になるのか、そのために知恵を出す、その過程は、あたかも難解な事件に挑むように聞こえ、そのプロセスが判例に表れていることを確認できると、さらに面白いと感じました。

つまり、判例は私に色々なことを教えてくれるので好きなんです。

そして、何をして、処分されたのか、それに対してどう主張したのかによって、そこにお金の価値観が透けて見えるし、法がどう裁くのかで、数字に人格がのっていたことを教えてくれます。

もちろん処分が取り消される場合もあるし、法律や通達の改正に進む場合もあります。

個人的には、経営者が担税力(租税を負担する経済的能力)があることをもっと評価される社会になれば、経営者も社会も変わるのではないかと思います。

お金に支配された人の誤ったお金の価値観のままでは、税務調査を通して大きなペナルティとして税金を国に納めることにもなりかねません。
そして裁判することで、さらに時間とお金を使うことになりかねません。

そのためには、数字に人格がのらないように、
お金の価値観を書き換えることが大事だと思いませんか?

興味がある方は、是非、電子書籍を読んでいただきたいと思います。
次のURLからお入りください。

https://s.lmes.jp/landing-qr/2004094330-raelVXVj?uLand=ZTGtdE



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