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母の話 -ハゲタカのぬいぐるみ-その⑩(終)


【前回-その⑨-】

 母の部屋の遺品整理と、その部屋で、かつて元気だった母と話していたことを思い返しています。


[35]未服用の薬
 ひとつ、気がかりなことがありました。母の部屋を遺品整理しているとき、癌の薬の一部が、明らかに服用されていない状態で大量に出てきました。なんでこの薬だけ大量に、と思っていると、隣にいた甥っ子が「おばあちゃん、これきらいって言っててん!この細長いクスリ!」と教えてくれました。
 僕はそれを聞いて「いかにも母っぽいな」と思いました。終活なんて一切していない部屋の状態から、母は死ぬ気はなかったのだろうと確信していましたが、同時に生きる気もなかったのかもしれません。ただ、母の「死も生も、ある意味どっちでもいい」感情や思惑の引き金がどこにあるのかが、いまいち掴みきれていませんでした。
 しかしながら、最近ふと閃いた仮説があります。あくまで僕の中の仮説です。母は、今の僕くらいの年齢の頃に一度癌を経験していました。子宮がんでした。当時僕は中学生でしたが、母は「自分の子どもに迷惑かけられへん!」と言って、タンスに数十万入れ「ちょっとしばらくこれでなんとかしてな。」と言い残して病院へ入院したのです。そしてしばらくしたら気合いで完治させていたのを覚えています。「手術中な、三途の川が見えて、向こう岸から手招きされててん。」と母は言っていました。
 その数十年後になる二回目の母の癌。同じく母は「自分の子どもに迷惑かけられへん!」と言っていました。僕はどちらも「母が死んだら息子が悲しむ」という文脈で理解していました。しかしながら本当は、今回の言葉の意味は違っていたのではないかと考えています。
 一回目の「自分の子どもに迷惑かけられへん!」は、まだまだ自立していない中学生の僕と成人前の兄を置いて死ぬわけにはいかない、子どもたちを路頭に迷わすわけにはいかない、という文脈での発言でした。
 しかし二回目の「自分の子どもに迷惑かけられへん!」は、自分が癌の治療を続けることで、息子二人に対し金銭的にも気持ち的にも頼りきってしまうことはできない、という意味だったように思います。自立した息子たち、それぞれの生活がある中で、母は息子たちの人生に迷惑をかけることはできない、という文脈だったんだろうと推察します。
 母は二回目の癌が分かった途端、自分の貯金を全て降ろし「これ全部治療費に使って」と僕と兄に告げました。しかしながら、母も僕も兄も、この金額では数ヶ月分くらいしか持たないことは分かりきっていました。母としてのプライドと、自責の念からくる最後の優しさだったと思います。
 一回目の癌と二回目の癌で、母は同じ言葉を使っているのに、向き合う姿勢は真逆だったのかもしれません。それが、服用していない大量の薬が残されていた答えなのかもしれません。

[36]マンデラ効果
 母が倒れて寝たきりになる数ヶ月前、実家で闘病中の母の元へ僕が訪れた際、二人で話した会話を少し振り返って、この文章に区切りをつけようと思います。
 「スマホでYouTubeばっかりみてたら、目が疲れるねん」という母に、テレビ画面で見れるよう、接続機器を持っていった夏の日でした。どうやら、母はずっと自分の涼しい部屋でYouTubeの都市伝説関連動画を見漁っているようでした。昔からその類の話は大好きだったので、特段僕も驚くことはありませんでしたし、むしろいつもどおりの母が微笑ましくも感じていました。
 母はおもむろに「ピカチュウの尻尾の先って何色やと思う?」と僕に話しかけてきました。「いや、覚えてないなぁ」「黒やったよな?」「まぁ、確かに黒やったかも」「そうやねん、黒やねん。でも、こっちの世界では、黒じゃないねん、黄色やねん。」
 「そんでな、東京タワーって、赤色一色やったよな?こっちの世界ではな、赤と白で塗り分けられてんねん。知らん間に、私こっちの世界に来てしもてん。パラレルワールドやねん。」
 これはマンデラ効果という、複数の人たちが同様の思い間違いをする現象を指しているのですが、元からそういった都市伝説や、精神世界に惹かれる母は、以前から度々この話を僕にしてくれました。電話越しに話してくれたこともありました。そしてずっと、そういう母の話をまともに聞くのが僕しか居なかったのか、毎回興味深げに頷くと嬉しそうにたくさん話してくれました。
 「だからな私、気ぃついたらこっちの世界に来てしもてん。いつからやろう、ほんまに。」「そうかぁ、じゃあお母さん、意図せずこっちの世界来ちゃったんやな。こっちの世界来てなかったら、お母さん、癌になってなかったかもなぁ」「ほんまやで!もう!帰られへんし!最悪やわ!」「お母さんなんでこっちの世界来たんよ!もう!大変やな!」
 お互いにこやかに笑って話し合い、数時間くだらない話をしていると日が傾いてきたので、また来るね、と伝えて僕は帰りました。母は、玄関先で僕の姿が小さくなるまでずっと見送ってくれました。
 願わくば癌になっていない世界線で、母とまたお酒でも飲めたら嬉しいです。くだらない話の続きは幾らでもしたいものです。しかしながら今世では、この世界線では、ピカチュウの尻尾の先が黄色の世界では、母と話すことは残念ながらもう実現しません。時がくれば、また話せるチャンスがあれば良いなと思います。
 一旦こちらの世界ではありがとう、おやすみなさい、という言葉を母に贈ります。僕は僕なりに、ちゃんとこの世界線での生を全うすることにします。生きていればきっと明日も楽しいから。では、また。

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