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母の話 -ハゲタカのぬいぐるみ-その⑨

[前回 -その⑧-]

 母の葬儀が終わり、忌引休暇の間に母の部屋の整理をしていた話です。部屋を片付ければ片付けるほど、母が居なくなる感覚になりました。


[32]明朝のコンビニ
 葬儀から数日が経ち、兄と一緒に母の部屋を整理しました。母が倒れた日、2023年11月5日のまま、部屋の時は止まっていました。母の部屋は整理されていましたが、それはあくまで「普段通り」整理されていて、所謂「終活を意識した」整理ではありませんでした。次のシーズンに着る予定だったタグのついたままの服や、これから飲む予定だった大量の薬、飲んだ形跡が残ったままの乾いたコップが置かれていました。
 一つ一つ母の足跡をたどりながら片付けをしていました。部屋が片付くにつれて、少しずつ母の生活の跡が消え、本格的に居なくなる感覚が確かにありました。そんな中で、母が倒れそのまま寝たきりになって最期まで家に帰れなくなった日、倒れる直前に訪れていたコンビニのレシートが出てきました。
 母は朝の5時にコンビニへ行き、ハイボールの缶2本と、紙パック840mlの焼酎と、タバコと、その他食べ物を購入していました。朝の早い時間から、なんてワイルドな買い物をするんだと思って眺めていましたが、同じ家に住む孫が寝ている夜から明朝にかけてが、母が孤独を楽しむ時間だったのかもしれません。
 そしてその買い物の内容を見ても、ポイントもちゃっかり貯めているし、その数時間後に倒れてそのまま寝たきりになって亡くなるまで家に帰れないなんて微塵も思っていなかったんだろうなと感じました。入院時の母の「家に帰りたいわぁ」という言葉の重みがより増した気がしました。



[33]遺書の行方
 ある程度母の部屋を片付け、僕の幼少期のアルバムや、何かにつけて母に送りつけていたぬいぐるみを回収し、自宅へ戻りました。ぬいぐるみに「お母さんを見守ってくれてありがとうね」と伝え、アルバムを見ながら母のことを考えていました。
 母は、散々書いている通りワイルドな性格ですが、昔から非常にマメでもありました。診断書はしっかりファイリングされ、細々とした連絡先であったり、必要な書類もまとめられていました。
 そのマメな性格からすると「遺書」は遺されているんだろうなと思っていましたが、そういった類のものは全くありませんでした。癌になる随分前、僕と一緒に住んでいて、母が至って健康な折には、冗談で「なにかあったら遺書に色々書いとくわ」と話をして笑いあっていたこともありました。
 勝手ながら遺された母のスマホを確認しても、そういった類のものは見つけることはできず、逆に2024年の運勢をしっかり調べていたようでした。生きる気満々でした。そのままスマホを見てみると、次第に送信メールの文章を打てなくなってぐちゃぐちゃになり、最後は文字の羅列が未送信のまま下書き保存されていました。しかしながら基本的には徹頭徹尾、母は日常を貫き続けていました。
 母はどんな状況でも死ぬ気は一切なかったんだろうなと思います。変な言い方ですが、死が確実に迫っていても、どれだけ不安であっても、結末が分かっていたとしても、全く死ぬ気はなかったんだと思います。だからこそ日常を貫いていたんだと思います。寝たきりになっても人知れずリハビリをしようとしていたり、元気な時は「人生は太く短くでいいねん」と言いながら煙草をふかし飲酒をしていた癖に、癌になるといつも通りの日常を過ごしながら、誰にも言わずきっちり生きてやろうとしていた母を思うと、矛盾しているけどなんかそれが人間っぽくていいなと感じました。


[34]世の中は回る
 母が倒れ余命が半年と宣告されてから、僕はこの期間に起きる母のこと、そして自分の心の揺れや気持ちを書き留めておこうと、少しずつ文章を書き続けていました。そういった変なマメさは、母親譲りかもしれません。
 正直なところ、こうやって文章を書き続ける行為が終わらなければいいなと思っていました。書き続けるということは、母が生き続けるということを意味していました。書き終わるのは、母が亡くなって、書くことがなくなってしまうことを意味しています。だから、嫌です。
 母が亡くなってから僕は想像以上の喪失感に打ちひしがれていました。家で一人でいると母を思い出し、不意に泣いてしまう日々を送っていました。それは今もです。気晴らしに外に出ると、人が一人亡くなったところで世の中に変化はありません。そのちぐはぐさを埋めるのに、相当の時間をこれからも要すると思います。
 同時にそうやって、ずっと人の死を巻き込み続けながら世の中は回り続けているんだと思います。思い返せば葬儀場では母の他にも沢山の人がお別れをしていました。世の中はそういった個別の大きな悲しみも均質化しながら動いているんだと、そうしないと動き続けることができないんだと改めて思いました。親が亡くなっても世の中が変わらないというのは、ある意味で救いなのかもしれません。そんなことを思いながらも、やはりまだどこかで母の幻影を探している自分がいます。

(続く/次で最後です)

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