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母の話 -ハゲタカのぬいぐるみ- その①

 2024年4月5日、59歳で母が亡くなりました。

 普段連絡を取らない兄から数年ぶりに着信があり、仕事終わりファミレスに呼び出された僕は、そこで母の肺と胃に癌が見つかったこと、そして現在の病状を知らされました。兄は額に手を当てて涙を流していました。それは2022年秋の話でした。
 母の病状を知っても、僕はまさか母が亡くなるなんてこれっぽっちも考えていませんでした。闘病はしているものの、のんびり暮らし続ける母の姿に少し安心感を覚えていたのですが、癌発見の一年後、2023年11月、突然母が家で倒れ、以降寝たきりになり、病院生活を余儀なくされました。
 その頃からようやく、迫る母の死が輪郭を持って現れてきたのでした。僕は不謹慎ながら「母が生きている証を書かなければならない」と強く突き動かされ、そこから五ヶ月間、母が亡くなるまでの間の感情の揺れを少しずつ書き溜めてきました。
 「母が亡くなったらこの文章は生きてきた証として、人の目に触れる形で残したいけれど、本当のところは誰の目にも触れぬまま、母が元気なってほしい」と考えていました。しかし、この文章が人の目に触れているいうことは、そういうことです。
 血気盛んな頃は酒を毎日がぶがぶのみ、壁紙が黄色くなるまでタバコを吸い、シングルマザーで僕と兄を育て上げてくれたワイルドな母の話を、これから少しさせてください。
 話は母が倒れた日から始まります。

[1]ボロフェスタ
 2023年11月5日、京都の音楽イベントであるボロフェスタが開催されていました。ボロフェスタには僕がドラムを叩いているバンド、ZOOZが出演することとなり、終始そわそわしながら過ごしていました。
 そんな折、出番の一時間前に兄から着信がありました。ライブの音が漏れ聞こえる楽屋で電話に出てみると、「母が家で転倒して、動けなくなってしまった」「体調も悪そうなので、明日会うのも難しいかもしれない」とのことでした。
 僕はボロフェスタの翌日、母に会いに実家へ行く予定でした。「次の月曜に有給取ってるから会いにいくね」と母にショートメールを送ると「いいよ!」と元気な返事がきていましたが、会いに行く一日前、ボロフェスタでのライブ直前に、母は倒れたのでした。
 不安を抱えつつもライブはライブ、ボロフェスタの高揚感に水を差してはいけまいと、キレのあるビートで応戦しましたが、大トリのZAZEN BOYSを見ながら僕の情緒は普通ではいられず、泣いてはいけないけどずっと泣きそうな表情で眺めていました。アルバム発表前の『永遠少女』を聴いた時、真っ直ぐ向井秀徳を見れなくなっていました。
 本来会う予定の有給は、ぽっかり穴が空いたようになにもできませんでした。奇しくもその次の日は受験していた国家試験の合格発表日で、無事合格したものの母に伝えることもできず、手放しで喜べない複雑さを抱えて過ごしていました。



[2]面会
 母に会えたのはそれから数週間後、2023年11月末のことでした。母はもはや起き上がることも、会話をすることもできず、病院のベッドで仰向けになっていました。
 倒れて救急車で運ばれてから、すぐに放射線治療が始まりしばらく面会はできませんでした。どうやら癌の影響で脳が浮腫んで圧迫していたようで、もうこれ以上治療はできない段階まできていました。
 余命は半年と告げられ、母は残りの命を穏やかに過ごすため、緩和ケア病棟に入ることになりました。
 兄と二人で病室に入ると、母は目で僕たちを追っていました。なるべくいつものように話しかけてみると、頭も痛いし体も怠いはずなのに、時折目尻に柔らかい皺ができました。
 ついこの前まで普通に話もできたし、メールもできたし、立って歩いていたし、隠れて酎ハイも飲んでいた。癌と闘っていたけれど母は元気だったのに、たった数週間であれよあれよと寝たきりになって、言葉も感情も上手く出すことができなくなり、話の理解も極端に遅くなった母を見て、瞼の裏に以前の元気な母がよぎりました。
 僕の目には涙がいっぱいたまってこぼれ落ちそうでしたが、なんとか堪えながら、そして涙を母に勘付かれないように、久しぶりに家族三人で過ごしていました。



[3]余命
 話しかけると母はこちらに視線を向けてくれます。注意深く話を聞いているようにも見えますが、母の力強い瞬きとは裏腹に、気を抜くと薬の影響か、話途中でもすぐに意識が飛び眠ってしまうようでした。なにか話そうとしても声にならず、唇がわずかに揺れるだけの母を見て、僕は脳裏にチラつく「余命」というワードを振り払うようになるべくいつも通り母との時間を過ごしていました。
 生死を彷徨うにしては肌艶が良く、目力が強く、ついこの間まで元気に闘病していたので、今目の前に映る話せない、何を考えているか分かりにくい、けれども確かに以前のように同じく何か考えているように見える母の姿を見て、あまりのちぐはぐさに僕の理解が追いつきませんでした。眼前の母はドッキリで、ひょっこり元気な姿の母が現れるような気がしていました。

[4]キーウィのぬいぐるみ
 母と面会する数ヶ月前、バンドのライブをよく観てくれる方から、天王寺動物園で販売されているキーウィのぬいぐるみを二羽いただいていました。一羽を母に渡そうと思っていましたが、なかなか渡せずようやく実家に持っていけると思っていた矢先の母の入院、続けて余命の話だったので、まさか実家ではなく病室にぬいぐるみを持っていくことになるとは思いませんでした。
 面会終了の直前、そのキーウィのぬいぐるみを母に渡しました。以前からなにか可愛いものやぬいぐるみがあると度々渡していたので、母は驚いたような、笑顔のような、やっぱりうちの息子はやれやれ、という不思議な表情を浮かべて、キーウィを右手で掴んでいました。
 看護師さんが面会終了の時間に入室し、ぬいぐるみをみるなり「お母さん、何か右手で掴んでいると安心するみたいでナースコールをずっと掴んでたんですけど、こっちのほうが可愛いですね」と話しかけてくれました。
 キーウィに母を託して、僕はなるべくあっさり笑顔で手を振って病室を後にしました。あっさりしたほうがまた次も会いやすいなという気持ちからでした。

【↓続き:その②】

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