人の気持ち

[1]謝らない人
 「人の気持ちを考えること」に囚われ続けている。仕事の良いところを一つだけ挙げるとするなら「絶対に関わりたくない人と絶対に関わらなくちゃいけない」ところだと思う。それは通常は悪いところなんだろうけど、今の僕には必要な経験だと信じている。
 そういう関わりたくない人の中に「絶対に謝らない人」がいる。謝ったらあなたは死んでしまうのかと思うほど謝らない人がいる。謝らないように物事を完璧に進めたがるけれど、人は完璧ではないので何か綻びが出た時に素直に認めることができない。それどころか意地でも謝らないし、なんなら高圧的な態度で他人のせいにして自分を守る人がいる。
 可哀想だなと思う。謝らない人は自分という存在を守るために他人を傷つけたり、呆れさせたり、嘘をついたり、誇張したり、掻き乱したりする。次第に、というか最初から「こいつヤバい奴だ」と周りの人から判断されて、誰も心からの交流を持とうとしないし、そういう人は他人の思いやりも自分のプライドに変換してしまうので、関わろうとも思わない。謝らない人は浅い付き合いの中で世界を否定して生きていく。やはりとても可哀想だなと思う。

[2]動かない人
 最近の僕は、やはり「人の気持ちを考えること」に囚われ続けている。人は与えられるものに文句を言う割には、自分からなかなか解決しようとしない。それは自分から動くのが面倒なのか、何も気づいていないのか、やっぱり面倒なのか、僕には分からない。でも多分大半は、結局面倒だからなんだと思う。
 面倒だからやらない、面倒だから首を突っ込まない、面倒だからそのままでいい。面倒から逃げ続けて、結果的に人生の大半をつまらなくしている。面倒から逃げ続けても、後から大きな面倒が襲ってくるだけなのに。
 会社のフロアを見回してみると、多くの人が面倒から逃げ続けている。面倒だから誰かがやってくれるまで放っておく。きっと誰かが解決してくれる。それまで不満を蓄えて見てみぬふりをしよう。
 例え嫌いな仕事でも、そんな人生面白いのだろうか。僕はどうも放っておけなく首を突っ込んでしまう癖があるようで、色んな面倒をつい引き受けてしまう。
 僕が面倒を片付けていると、面倒に巻き込まれず得をする人がいる。でも、それでいい。その人には申し訳ないけれど、面倒から逃げ続ける人は可哀想だと思う。僕が面倒を片付けることで、面倒から逃げる人は一時的に得をするけれど、その人の未来を少しずつ奪っている。結局その人は何もできないまま、他人が何か善きに計らってくれることでしか人生を動かせない人になる。
 人生は自分で動くから面白いのに。そういうことを会社で考えては、また面倒ごとに首を突っ込み、謝らない人に対峙する。

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