心を食べる化け物

[1]心を食べる化け物
 心を食べられている。最近そんな気持ちになることが多くて参っている。人の善意に群がり、ゾンビのように食い散らかして去っていく。本人は食べているという実感もないから厄介だ。
 生きていると、そんな心を食べる化け物に遭遇することが多い。決して自分からは動かず、何かあれば正論めいた文句を言い、人の気持ちを考えず、楽な方楽な方へ流れ、責任を取らない割には「自分は十分すぎるほど人としての義務を果たしています!!」と胸を張っている。そういう人を見るだけで、僕は相当なダメージを受けてしまう。
 言い換えるなら、愚かさや、醜さや、とにかく誰かの足を引っ張ってでも楽をしたい、どうせ誰かがやってくれる、という気持ちに人間の皮を被せて生きている化け物といったところだろうか。
 誰かの善意や優しさを当たり前のように食い散らかしているのに、その実感もなく、自分の意思と判断で利発的に生きていると思っているゾンビのような存在に、僕は毎日苦しめられている。
 そういう人は、誰かの残した不誠実や、面倒事には決して首を突っ込まず、安全地帯でぬくぬく誰かの優しさを食い散らかして文句を垂れている。実生活や仕事のみならず、ひとたびSNSを開けば、そういった場面に遭遇しすぎてしまう。

[2]優しさで補えるだろうか
 僕はそういう世界であろうと、困っている人がいれば放っておけないと面倒事に首を突っ込み、優しさを食べられたとしてもまた優しさで補い、なるべく能動的に明るく生きていきたいと思って毎日全力を尽くしている。
 けれどやっぱり、心を食べる化け物が多ければ多いほど、自分の気持ちも暗くなってしまう。山積みにされた誰かの残した不誠実に、気が滅入ってしまうこともしょっちゅうある。
 正直なところ、ほぼ毎日「もうダメだ」「まだ大丈夫かも」の間をずっと行ったり来たりして生きている。深く傷ついて、一方で数少ない誰かの優しさや気遣いに生かされている毎日だ。
 人によってはそれは気にしすぎだと言うかもしれない。しかし「人の気持ちを考えられない人がいる世界」というだけでもうそれは辛くて、逆に何倍も明るく、意識的に前向きにしないと生きていけないのだ。
 今日も結構な量の心を食べられ、帰り道お腹がずっと気持ち悪かった。なんとかカフェに滑り込み、コーヒーと共に気持ち悪さを流し込んで一日を終えようとしている。明日は優しさを十分補えるだろうか。毎日そうやって、心を食べる化け物と対峙している。

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