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母の話-ハゲタカのぬいぐるみ-その⑤

【前回-その⑤-】


面会の度に容態が悪化する母。分かっていても受け入れ難い現実から目を背くように、在りし日の母の幻影を求めて街を歩く話です。


[18]現実
 春が近づいてきた3月上旬にようやく予約が取れ、3週間ぶりに母の元へ面会に行きました。病院までの道のりは、自分が小中高と過ごした街を通るために90分かけて歩いて向かいます。毎回少しずつ道を変えて、色々な思い出を呼び起こしながら歩くようにしていました。
 頭の中を母との思い出にいっぱいにしてから病室にたどり着くと、母はぼーっとテレビを見ていました。僕に一瞥することもなく、ただただテレビを見て、たまに猫が映ると笑顔になりました。「ネコかわいいなぁ!」と声をかけても、僕の存在を全く気に留めていないようでした。これまでとあまりに違う反応でした。
 どうやって声をかけようかと思いあぐねたまま、一心にテレビを見る母とまともに会話ができずに15分の面会時間が終了しました。「また来るからね」と言ったものの、母の反応はなく、テレビから視線を外さないままでした。



[19]全部わかっている
 複雑な気持ちで歩いていました。「全部わかっているんだけどなぁ」と僕は帰り道に言葉をこぼしていました。
 全部わかっている、というのは、もう母は自分で歩いてコンビニに行って酎ハイを買えないこと、ベランダでしゃがんでタバコを吸えないこと、自室に帰れないこと、泥酔して昼過ぎまで寝れないこと、しまむらで買った薄いジャンパーをもう二度と羽織れないこと、編みかけの編み物の続きに取りかかれないこと、母の作るミートソーススパゲティはもう二度と食べれないこと、ショートメールを送っても返信は返ってこないこと、そして、これから母に起こるであろうこと。
 受け入れているようで、やはり僕は全然受け入れていませんでした。帰り道も、15年以上前の街並みと変わらないところばかりみつけて安心して、新しいものや、変化しているものを見ようともしていませんでした。街も時代も母も僕も、その全ては変わり続けていて、今の状態を直視する必要がありました。過去には還れないのに、昔の思い出の道を通って少しでも過去に還った気になっている自分に苛立ちを覚えながら、歩き続けて家に帰りました。


[20]望まず生きるのは悪なのか
 数日経っても、まだ面会を引きずっている自分がいました。同じ部屋にいたのに、まるでパラレルワールドのようにすれ違い続けていた僕と母。何度も数日前の15分間を思い出しては、元気だった頃の母と比べている自分がいました。本当にこれは現実なんだろうか。
 「母は、ああなってもまだ、生きたい意思はあるのだろうか」「今の母は何を糧に生きているのだろうか」「母は今、幸せなのだろうか」
 人生最大の推しである母へ惜しみなく注いだ医療費が、母の意向に沿うものでないのであれば、僕と兄のしてきたことは悪なのかもしれません。課金を続けた結果が、息子が来たことにも気づかずテレビを見続けてニヤニヤ笑う母の姿であったのは、自分の行いを振り返る機会になりました。
 働けば働くほど、ただ母を何の目的もなく生かしているだけなのかもしれない。でも働いていると、その間だけ幾分か母の姿を思い出さずに済む時間があり、幾らか気持ちが保たれる瞬間もありました。沢山の気持ちの矛盾を抱えて、母に会いにいく気力が湧かずに過ごしていました。


[21]いよいよの事態
 やるせない気持ちで二週間ほど過ごしていると、兄から連絡が入りました。「癌の影響で肺機能が低下しているのと、誤飲が続いているので下手すると今日明日にも何かあるかもしれない。」
 僕は急いで予定をキャンセルし、母の元へ向かいました。心を落ち着けるためにまた、母と過ごした街を歩いて病院に向かいました。
 病院に着くと、示し合わせたかのように親族の大半が集まっていました。そこには十数年ぶりに会ういとこも居り、もういよいよという事態の深刻さを表していました。
 ロビーに親族を残し、一人きりで母の病室に入りました。母はもはやテレビを見ることもできず、口元には呼吸器が置かれ、仰向けのまま天井を見つめて、目を閉じたり開けたりしていました。
 いよいよ声を出すこともできません。瞳を動かすことしかできません。恐らく何か意思疎通を取ろうとしているのか、僕が覗き込むとわずかばかり頬がピクっと痙攣します。呼吸は浅く、頻繁に繰り返していました。肺に十分な酸素が行き渡らず、時折痛そうな表情を浮かべて顔に皺を作っていました。
 元から痩せていましたが、たったの半年で文字通り骨と皮ばかりになった母を見つめ、僕は「母が死ぬ」という事実を噛み締めていました。
 しかしながら、母の瞳はまだ力強かったのです。抗癌剤を打って髪が全部抜けても、強い麻酔を打たれても、寝たきりになっても、見た目がどれだけ変わっても、もう命が長くないことが明らかでも、僕の母が母親たらしめていたのは、その瞳の力の強さでした。
 短い面談の時間、母の瞳をずっと見て、「また来るからね、ありがとう」と言ってその場を後にしました。枕元に置かれているスマホ、母はもう触る力はないのですが、薄水色のスマホを見て、これを選ぶのは間違いなく母のセンスだと思いながら席を立ちました。

(続く)

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