人のせいにする幸せ

[1]定時過ぎの会話
 「なんで私に対して冷たくなったんですか。私のことが嫌いになったんですか。なんか私の前職の係長みたいになってきましたね。」
 「申し訳ないですが、業務中にお伝えすべきことは全て伝えています。それも、一度や二度ではなく、ほぼ毎日何度も伝えています。五度や六度でもききません。一度ご自身で振り返っていただけますか?」
 「私が書類を間違えすぎたからでしょう?それか喋りすぎ?そういえば前から主語がないまま話すから何を話したいかわからないって言ってましたっけ?だから私に冷たいんでしょう?教えてくださいよ。」
 「いや、ええ、業務中に何度もお伝えしていることを、振り返っていただけますかね。あと周りに他の業務中の方がいる中で、こういう話を大きな声でするべきじゃないと思うんですが。」
 「あなたは優しいから話してくれると思ったんですが、話してくれないんですね、もういいです、お疲れ様でした。」

[2]同情と我慢
 3ヶ月という異例の早さで派遣契約を切られることになった62歳のシニア社員と、色々世話をしていた僕との、定時を過ぎたあたりの会話でした。ズタズタと足を引き摺って事務所を出て行ったお爺さんを見届けてから、人事とは関係のない上司が僕のところにやってきました。
 「やばすぎへん?あの人。君の近くの席に最近俺が移ってきたからわかったけど、上がってきてる報告の何倍も酷いよ、あの人。なにを話してるのか分からん。よく堪えて、的確なこと話せるよな…」
 「まぁ、もう、アトラクションみたいなもんですから。全然楽しくないですけど、あと三日で終わりかと思うと少し寂しいかもしれません。」
 お互い苦笑いしながら、あと少しの我慢だからと話していると、他の先輩社員も集まってきて、あの人やばすぎだろ、大丈夫か、と僕に同情してくれた。
 ひとしきり落ち着いてから、僕は「私の前職の係長みたいになってきましたね」というお爺さんの言葉が引っかかっていた。

[3]人のせいにする幸せ
 入社当時、まだどんな人物かが分かっていない時に、そのお爺さんは前職の係長の愚痴をこぼしていた。高圧的に詰られただの、仕事をわざと振ってくれないだの、他の女の子には優しいのに私だけには厳しいだの、器が小さいだの、色々話していた。
 僕は、お爺さんに同情していた。そんな我儘な人物が、人の上に立ってはいけないと思っていた。しかし今は、そんな前職の係長に肩を入れて同情している自分がいた。
 このお爺さんはこれまでの人生、ずっと人の善意を感じることができず、自分勝手に振る舞い、いつまでも治らない、もう無理だと周りから呆れられると、それを「人のせいだ」と決めつけて生きてきたのだろう。そうして色んな人に見限られ、居るに居れなくなってあちこちを渡り歩いて、僕と出会ってしまった。そして早々に僕からも離れていく。
 なんだか分からないけど、僕はそのお爺さんのことを幸せだなと思った。自分の愚かさに気付くことなく、いや、気付いているような感じはあるけれど認めることをせず、62歳まで生きてきたのだ。ここまでその方法で生きてきたのだから、今後もそうやって人のせいにして、周りを不幸にして自分は幸せに生きていくことができるだろう。
 「でも、うーん、地獄に堕ちるだろうなぁ」そう小さく、誰にも聞こえないように呟いて、僕は会社のパソコンをシャットダウンして、明るい週末を迎えるのだった。

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