肩書きを捨てたら

[1]肩書きを捨てたら
 肩書きを捨てたとき、本当の自分の価値が明るみになる。かつてバンドを活動休止にしたとき、僕はただの16ビートはやおになった(「16ビートはやお」自体一つの肩書きじゃねえか、というのは一旦置いておくとして)。その時に、これまで肩書きにもたれかかって自分を大きく見せていただけなんだなと思い、焦ってやけに練習したのを覚えている。実力が追いついたかはまた別ではあるけれど。
 世の中は肩書きの魔法をかけられている人が多い。そしてそれは、本人自身が魔法にかかっていて気づいていないこともある。そして解散や脱退や辞職を経て肩書きの鎧が外れた瞬間に、あれが魔法だったんだと気づいたりする。肩書きは自分を表す手っ取り早い手段だけれど、同時に他人や、時に自分自身の見方をも縛る諸刃の一面がある。

[2]権威なんて
 昔は肩書きというものが怖くて権威的なものに萎縮する日々だった。教授や課長や売れてるバンドと対等であったり親しげに話す同年代の人達が無礼に思えるほどに、一人の人間ではなく、大きな権威として人を見ていた。
 きっとそれは、自分の育った家庭環境が余りにも肩書きというものから程遠い生活をしていたからで、いざ権威的な肩書きを目の当たりにしたときに、あまりに大きい存在に見えてしまって余計に萎縮していたのかもしれない。
 そして今はどんな人に対してもあまり緊張しなくなったのは、半分はバンドの活動休止を経て肩書きの魔法が解けたからで、あらゆる人を一人の人間として見れるようになってきたからだった。そしてもう半分は自分に自信を持てるようになったからで、素直に生きることができるようになり始めたここ数年からだった。
 権威なんてものは、人の目を眩ませる。目先の利益を追う人が、権威を生み出し続けている。そんなものに振り回されるより、気にせず全力で毎日を生きた方が絶対に楽しい。
 

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