都合が良くて何が悪い

[1]都合が良い
 自分は都合の良い人間だなと思う。人と関わるストレスに耐えられず一人で生きたいと願う一方で、社会システム上、どうしても一人で生きられないストレスに苛まれていたりする。
 一人になりたいのは、人と関わることで自分が傷つきたくないという自己本位な理由しかないのだけれど、だからと言って、一人で過ごしていても急に不安になったり寂しくなったりして、自分の気分と合うように都合良く予定が入ると小躍りしたりする。
 その逆も然りで、他人と関わる予定が入っている時に「一人になりたい欲」が高まっていると、途端にその予定が面倒で仕方なくなったりする。これは本当に困った。
 人生の時間は有限だから、時間を共にする人はなるべく価値観の合う前向きな人がいい、価値観の合わない人が周りにいると、自分が落ち着かないから。というこれまた傲慢な我儘を振り撒きながら、尚も「生きづらい生きづらい」「人類が皆、自分みたいな人だったら良いのに」と言っているのだから本当にタチが悪いなと思う。

[2]幸せは相対的
 会社を辞めたいと常日頃思っているのは、こういう「合わない他人と関わらなければいけない」という気持ちから来ている部分が半分くらいある。けれど会社を辞めたって、どこか田舎に行って、仮に家から出ずに暮らせるようになったとしても、結局他人とは関わらないといけないし、そこに「合わない人」がいない保証はどこにもない。
 どうやら絶対的な幸せはこの世に存在せず、他者とのつながりの中でしか見出せない相対的なものらしい。一人で生きたいと思っている時点で、他者の存在を抜きに語ることはできない。世の賢い人たちは、他者とのつながりの中で幸せを見つけなさいと言っている。ふざけなさんな、とやけになったりもする。

 
[3]止まり木
 振り返ってみると、人間誰しもその人生の時々で都合よく誰かと寄り添っている。小学生の頃の親友は、今はすっかり疎遠になっていたり、会社で信頼している人の連絡先を知らないけれど、確かにその時その時で都合よく信頼して、助け合っている。
 誰しも少しずつ自分の弱いところや我儘を切り取って、誰かに少しずつもたれかかって寄り添っている。そしてもたれかかる相手は、人生が終わるまでずっと続くものであれば良いけれど、家族だって親友だって折々に触れて変わっていくものだから、その時々で都合よく寄り添いあって助け合っている。
 今のところ一番気持ちが楽になれるのは、そういう気持ちのもたれかかり方が心地よい人を、止まり木のように幾つか見つけておくことなんだと思う。都合が良いけれど、都合が良くて何が悪いんだとも、思う。やっぱり自分はタチが悪い。

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