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「貝罌粟と釣鐘水母」

雛罌粟に憧れた牡蠣貝と、釣鐘草の花になりたかった水母がおりました。
貝は、自分のシルク光沢の服の襞(ひだ)を、蟹の脱皮した甲羅を砕いて粉にしたものを、頬化粧をはたくように紅く染めて、どこからか転がってきた歪んだ真珠を蕊(しべ)に見立て、肉を殻から絶てるように、力の限り踏ん張って、いつも体に傷をこさえていました。
水母は、豊満な身体をできるだけ引き締めて居られるように、胃袋の半分も満たない食事で満足し、自分の触手(てあし)を切り離し、頭の上に海藻を被り、フラミンゴがそうするように、限られた量の中で常に桃色の餌を食べて、自身の体を染めようとしました。
同じ種族の者達は、自分の体を傷つけるだけだ、と彼らの行為を馬鹿にし、性(さが)に反する行いをする愚か者だといい、いつも孤独で気持ちを分かってくれるのも、互いしかおりませんでしたから、鰐とその黄ばんだ歯の間の残り滓を掃除する小鳥のように、いつも一緒でした。
身を焦がす程の強い憧れを抱いたものがあるのに、自分たちは浜の砂一粒程も、近づけないのです。
本来、自分たちはああなるべきだったのに、どうしてこんなにも居心地の悪い体に納まっているのでしょう。きっと、神様が自分達の心は花にしたのを忘れて、間違えて潮の生き物の体に宿してしまったのです。ですから、それを気づいてくだされば、すぐに救われるのだろう、と思うようになりました。
しかし、いくら奇跡を待とうども、一向にその予感はありませんでした。
ですから、今世に疲れ切った二人は、標本屋の人間の手にわざと捕まって、魔法の血が流れたパームツリーの粉砂糖に漬けられ、体の水を全て奪われた後、今は永遠の時を刻む月の骨髄液の中で幸せな夢を見ているのです。
けれども、瓶の中は生前の棲家と同じようにして、星の砂を振り撒き、近くには、人魚の鱗のお守りを下げられなければ、保存は出来ませんでした。
だって二人は、結局のところどう背伸びしたって罌粟と釣鐘草になりきれない牡蠣貝と水母なのですから。

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