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-百合櫃-

魂魄の花



貴方、百合の葉と茎と雄蕊と雌蕊を、その瓶の中で混ぜ合わせても、シルクで作ったような百合の花には、ならないのよ。
蕾にね、月で子飼いにされていた、獣の清らかな魂が宿らなければ、百合の花は咲かないの。
そら、お庭の白百合をごらんなさい。
これはきっと月宮で、ぐつぐつ暑い湯で煮られ、毟りとられた羽を扇に、肉はスープにされた白鳥の子ね。
ふふ、分かりますとも、花の顔つきを見ればね。
この子の花の中は、斑点があって赤ら顔でしょう?
本当に熱い思いをして死んだから、喉が渇いて仕方がないのよ。
その分、周りの子達より、水をよく吸い上げるんだわ。
花に身をやつしても、荼毘に臥した瞬間の恐怖が抜けきらないのは、可哀想だけれども、おかげで花がよくよく綺麗に咲いてくれたものだわ。そう思うのは、とても残酷だって分かっているけれど。
黒斑模様の子は、月女神の騎馬だったのでしょう。
月女神は、アハルテケーという、蝋光りする美しい白銀の馬を、麝香の息を吐く緑の豹に食い殺されてからは、絶対に真白い体の馬に乗らなかったそうよ。この子も、そのアハルテケーの代わりに、月女神を乗せて、星屑砂礫の海を走り回ったのでしょうね。
そっちの黄色い顔の子は、無理矢理肝臓を肥大化させられるフォアグラのように、箒星の尻尾を飲み込まさせられて、歪に太った身をこんがり焼かれて、とろりとした餡を掛けられて、月蝕の宴の大皿に乗せられたようね。
その、暗黒星雲の渦から取り出した糸を、龍骨の機織りにかけて、マゼランの黒衣を纏った孤高な百合は、月の踊り子の黒鳥だったようだわ。
馬油を塗った鞣し革のような脚と、一度の羽のはためきで、星の一生分の虹彩を放つ、黒真珠を溶かした烏珠夜液(ぬばたまえき)の黒艷の翼で、愛でられていたの。
けれども、カノープスの屑を吸い込んで、巨嘴鳥病にかかり、犀鳥のような不格好な嘴になってしまって、身と心を病んだまま落鳥したのね。
この子の嘴は、今は羊座の番を任された、サテュロスの角笛になっているらしいわ。
はあ、庭の子達はどれも可愛らしいけれど、やはり、牡羊座の三十九番星に聳え立つ北の百合には、叶わないわね。
月の女神も、いい加減愛馬を食われた恨みなんて、忘れる頃合だわよ。
おかげで、地に堕とされてから、満足なものなんて一つも食べていないわ。
百合の花も、葉も、茎も、花粉も、蘂も、百合根も、いっとき飢えを誤魔化せるだけで、腹が膨れないのだもの。
麝香の息を保つために、ムスクマロウの種子も食べなければいけないのよ、これは本当に苦くて、舌の味覚細胞が全て言う事を聞かなくなってしまうのよ。
あぁ、あの北の百合……。花弁一枚でなくとも、せめ光波の一波紋でも舐められていたら……。


花盛

お前、なんという事だ。
あれほど真夏に外に出かけてはいけないと言ったのに、父さんの言いつけを破り、日に焼けてしまうだなんて……。
なんて、悪い子なんだ。
そうだ、お前もあの女の娘だ。男の肋骨から産まれた、原罪を犯した、原初の厭らしい女の血を引く子だ。
だから、駄目なのだ。
男の言葉を聞く、ちゃんとした頭もない。



陽の矢に射られて、カールした花弁の先に焦がし跡を作った百合の花に向かって、訳の分からない言葉を発する男がいた。
男の眼(まなこ)の下は絶望の軟膏を塗りこまれたように、落ち窪み、眼球は狂蠕虫に寄生されたようで、無理矢理に動き、男の脳髄の監視下を出ていた。
それを、炎症した脳を抱え奇妙な動きをする獣を観察するように、黙って見ていた子供がいた。
子供は、心の奥底ではなんとなくいけないこととは分かっていたのだが、目の前の出来事にどうしても好奇心の尻尾を掴まされてしまって、ハラハラする映像を見ている時のように、目が離せなかったのだ。
その絶対的な安全の元から眺めている、僅かな危険行為も、自身の母親に発見され、無理やり目を塞がれて、連れられて言ってしまった。
小言を発しながら歩く母を尻目に、少し痛むぐらいに繋がれた手を、橋をまたいで向こうの景色を見るように後ろを振り返ると、男は、綺麗に咲いた白百合の花を、鋏で首元からバッサリ切ってしまっていた。
子供の目には、少しだけ、ほんの少しだけ、百合の花が可哀想に映った。

うちの庭に咲いてくれていたら、枯れるまで置いてあげたのに、あぁでもお母さんが百合の花は猫には毒だから、うちのマルシェラに何かあったら困るって、お花屋さんで買ってきちゃ駄目って言っていたっけ……。

子供の微かな夢は、誰にも悟られることなく消えていった。


百合櫃

櫃〈ひつぎ〉は文字通り、尊い遺骸を木箱で囲む事だ。どうだね、彼女は花弁の丸みに、月の頬を照らす陽色を帯びていて、とても美しいだろう。
彼女は、まるきり水の存在を許さない星沙の中に埋めて、黴との縁を切ったものだけれど、彼女の隣にいつか、百合の花粉で染めた、同じ貌の絹の花を添えてやるつもりだ。
白い花の冥婚だよ、人は絵馬や人形をあてがわれるが、柔らかい花には布が相応しい。
考えるだけで全身の神経がぞわりと浮き立つね。
彼女はね、捕まえた時に暴れられてしまって、花の顏に少し傷がついてしまった。蝶や蜂を呼ばれてしまっては困るから、蕊を取って去勢させてもらったよ。たまに、水の代わりに冷めた紅茶や、肥料に出涸らしをやっていたから、敷紙やラベルを紅茶染めしてやったら大人しくなったから、助かった。
悪趣味だって? とんでもない!趣味がいいと言っておくれよ。

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