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翠眼の太陽

その翡翠とエメラルドの混ざった色合いの眼を持つ太陽は、斜視しゃしであった。
東の国には、事象を描いたものは完成すると共に、均衡を保とうとする世の物事の偉秤の力によって、その後は没落するしかないという事で、あえて縁起のいい八つの雲を、七つにまで描きとどめて置くという呪いまじない地味た風習がある。
それにあやかって、画家は、その対称に置かれた黄金比の下書き巻貝形の黒枝に、耳鼻花や眉唇果を実らせた顔つきの、完璧な眼の太陽を斜視にした。
生真面目な軌道を描く、天球園に包まれた真空宇宙の中に、唯一歪な黒点がある……。 
天使の羽をもぎ、人魚の鰭をもぎ、龍の鱗を剥ぎ、一角獣の象牙角を削ぎ、王冠を穢し、玻璃水晶を割り、瑞果すいかを腐らせ、双生児の魂を片側だけ乗っ取り、番う最中の蝶を引き剥がす。
絶頂の寸前になって、奈落のそこに、突き落とすような背徳めいた儀式。
あまりに完璧すぎるそれを、貶める事で、あえて完成させようとする……。
その冒涜的かつ耽美な行為は、かえってそれは、統一された機微の中に異端の芽を蒔いた事で、乱れを内包しつつ、傷を修復しようとする力が働いて、より活動的になったような、混沌の経糸と秩序の緯糸に織り交ぜられた、一種の完璧さに、それもより高等な部類のものに、すり替えてしまっただけにしか見えなかった。
けれども、翌日になって見てみると、なんと翠の眼玉の目線は、両方とも双子のように揃って、
こちらに微笑を送っていた。
何度も何度も描き直しても、その現象は収まらず、何か邪なものが取り付いているのやも、と画家は試しに夜中に見張ってみた。
それは、そんなに大層な変化ではなかった。雲雀ひばりが、自身の枯れ草色が混じり合った羽毛をしっかり繕ってしまうような、あっさりと。
ほんの微かに瞬きをした後に、斜めの、在らぬ方向を見ていた眼は、こちらに向き直っていた。
画家は、唖然となった。
作り手が命を縮めるほど切迫しながら、必死に、精魂込めて造りあげれたものは、稀に精が宿る魂魄器こんぱくきになるという。
自身も無限に続く修練道の先に灯る、哀れな亡霊たちが最後の慰めとして、十字架の慈悲ある微かな光を求め縋るように、その廃道を一つ一つ酷い咳を切らしながら、歩を進めてきたつもりだが、これはなんだ。
魂だけでは無い、恐ろしいことにこの太陽には、自我がある。それは、物言わぬ二峰のような美唇より、弁舌な緑翠の瞳でこう語るのだ。
おれは、元より存在していたのさ、それをお前は、自分で一から造り上げたと、甚だしくも思い上がっていやがる。堕ちる金星の垂尾火たれおびを与えられただけの、愚かなつるっぱげの猿に、そんな造物主の真似事が出来るものかね。
お前のしたことと言えば、誰も近寄らない砂と岩だらけの廃跡の中で、微睡んでいたおれを揺り起こしただけ、お前は、ほんの上澄みの砂埃を払っただけで、実の所はなんにもしてやいないのさ!
お前なんかの顔料に薄汚れた手で、おれの高貴な魂を貶め、穢すことが出来るなど、本当に思っていたのかね。それは一生叶わないのさ。本物の太陽と同じく、おまえのつまらない手など焦がして、焼き払えるのだから!
画家は、自分が産み堕したと思っていた存在に罵倒されるのが耐えられなくなって、その美しい両の眼を抜き取って、粉々にしてしまった。
その時に、破片が片方の眼に刺さり、これから眼だけ、視力は保ってはいたが、視線を操ることが出来なくなって、ついに、斜視になってしまったという。
その後、画家だった男は、作品として、商品として、絵を描くことどころか、筆を持つ気も無くして、自身の絵に関する道具や書物の一切を売り払い、眼の治療や家族の心配する気持ちも拒み、身も心も視界も硬くなになったまま、ついには気狂いになった、等の噂を耳にしたが……。
私には、確かめる勇気がなかったので、真相は、定かではない。

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