霧の向こう

ミルク色の霧の中で、溺れかけている魚がいる。
鰭を羽のように動かして、雨が降っている中を自由に動けるこの魚は、群れからはぐれて、ぼんやり辺りを漂っていた。
谷に溜まった、霧に溶けた魔の花の毒が、鰓から体の中に入り、全身痺れ、動けなくなっていた。
ミルク色の霧からは、毒の、砂糖のような甘い匂いがした。
魚の体は、次第に灰色の石のようにひび割れて、砂のように崩れさり、鱗は、割れた硝子片のように飛び散った。
そこへ、暗黒星雲よりも暗い色の装束を身にまとった、商人がやってきた。
商人は、骨だけの馬に死神が作ったような真っ黒で豪華な馬車を引かせていた。
馬の目玉があるべき場所には、小さい人魂のような炎しか灯っていなかった。
不気味な、黒づくめの商人は、魚であった砂を一粒残らず、空の砂時計の中にしまった。
鱗の方も、一枚残らず袋の中にしまい込んだ。
商人は、骨の馬の黒真珠と黒曜石を繋いだ手網を手に取って、黄金の宮殿がある、虹の都へ向かった。

黄金の宮殿に住まう妃は、我が子、美しい姫の美貌を時間になど、薄汚い泥棒に渡してやるものか、と思っていた。
商人は、地響きが歌っているような声で妃に行った。
「お妃様、こちらの砂時計をどうかお使いください。これならば、愛する姫を永遠の時に繋ぎ止めておくことが、できるのです。」
妃は、波璃水晶の天井に、冠がぶつかってしまうほど、飛び上がって喜んだ。
妃が座っている玉座の周りには、冠細工の小さい柘榴石が、とりたての葡萄のように転がった。

大きな音に驚いた、姫がそこへやってきた。
妃は、さっそく砂時計を逆さにした。
姫は、そこへ縫い止められたように、動かなくなってしまった。
「あれ、あれ、これはどういうことじゃ」
商人は、コールタールよりも真っ黒な口を開いて、粘つく声で答えた。
「お后様、きちんと説明しましたとおり、憐れな魚から作り出したこの砂時計は、永遠の時につなぎ止めて置くことが出来るのですよ。」
騙されたとわかった妃は、商人も怒鳴りつけたり、 自分のせいで可哀想な目にあった姫を思って、泣いたりしたが、最後には、大声を出して、そのまま城の大扉から走りでてしまった。

騒ぎを聞きつけた、王がやってきた。
「これはこれは、太陽が如き王様、ささ、こちらの銀の魚の鱗はいかがでございましよう?」
王は豊かな口髭をいじって、どんな代物か聞いた。
「こちらは、鎧として拵えますと、どんな刃も通さなくなる代物でございます。」
王様は、一も二もなくそれを買った。

一、二ヶ月経って、商人の耳には、虹の都の王様が、センザンコウのような硬い鱗の玉になってしまったという噂が入ってきた。
星と星の間を飛び交う、噂好きの白鷺たちの話では、なんでも最初は鱗のような出来物がポツポツ体にではじめて、それか体中に回り、鉛でできた半魚人のようになってしまったと思ったら、腹が風船のようにどんどん膨らんで、首と手足が埋まってしまったらしい。
こうなっては、大臣達も、解呪が得意な術士も手遅れ。
妃もいなければ、姫は何も反応も示さず、国が立ち行かなくなってしまったそうだ。
「そうだとも、あれは憐れな魚の、最期の悲しみがこれ以上なく詰まった、呪いの祝福を受けている。それを知らずに、考え無しに使うから、ああいう目にあうのだ」
商人の、ほくそ笑んだ口からは、紫色の煙草の煙と一緒に、そんな言葉が漏れでていた。

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