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④13の男の父、司朗

妻の南都子がなにやら怒っているようすなので訳を訊いてみると、孫の好孝と言い争いをしたのだという。雅志の子供の頃のことを思い出したことも理由のひとつであるらしい。

雅志は父である私の血を引き継いでいるのかもしれない。私は若い頃、霊山で修行する修験行者だった。頼まれるままに人の病を癒し、さまざまな依頼に応えて祈祷などもしていた。その頃は空海にちなんで雲海と称していた。しかし、おなじ修験行者たちの堕落した姿をみて、神仏への信仰をやめ、在家に戻った。そして今は樽橋司朗の本名として生活している。南都子には修験行者のことは一切話していない。自分にとって修験行者での出来事は思い出したくない過去だからだ。

ときには恨みを晴らしてほしいという依頼もあった。涙ながらに頼まれ、本意ではなかったが呪いの祈祷も修法した。雅志もおなじような思いで祈祷しているのだろう。霊感のある私には雅志の切ない思いが手にとるようにわかるのだ。葛藤の連続であろう。占いでは生活できず、呪いには需要があるから、嫌でも依頼を断ることができないのであろう。それゆえに、劇画の主人公、狙撃を生業とする男に恋いこがれたのだ。もっと冷酷に、合理的に、すべてを割り切って仕事をしていきたいと。

呪いを生業としていると、自分自身や家族にもその障りがやってくる。呪って死んでしまった者たちが、眠るたびに、怖ろしい形相をして私をにらみつけてきた。ときにはうなされ、夜中のたびに苦しくて目が覚ますこともたびたびあった。だから私は呪術の道を捨てたのだ。

雅志が呪術に傾倒していったのは、南都子がなぜか雅志に怯えきっていて、なんどか話し合いをしたあと、私の知り合いである真言宗の僧侶に、修行という名目で身柄を預けた頃からだろう。雅志は南都子の心を見透かしていたようだ。なにひとつ文句を言わずにお寺に行った。

南都子は夜中のたびに飛び起きた。雅志が私の首を絞めようとしている、と叫びながら。
その後南都子は気疲れからか倒れて入院してしまった。私は南都子の過剰な思い込みによるものだと思ったが、雅志のいる寺に行き雅志を問いただした。

「父さん、僕がかあさんを呪うわけがないだろ」

雅志は泣いていた。寺に預けるまで長髪だった雅志の、修行のため頭髪をすべて刈り取った頭が痛々しくみえた。私は雅志に別れを告げ、家に帰った。 

自宅に帰ると、雅志の妹の由希子も出張の仕事で家には誰もいなかった。僧侶から還俗して以来、久しぶりに呪詛返しの祈祷をすることにした。ろうそくとお香、水と酒、そして果物などを用意し、寝所に簡易な祭壇を設けた。ご本尊は押し入れの奥深くに保管していた不動明王の掛け軸のみ。

浴室で冷水をなんども浴び、斎戒沐浴をした。桜が散る頃で、まだ水が冷たく感じるが、よけいに集中力が増してくる。その後、私はふんどしを締め白い着物を着た。

修験道は神道と仏教の習合されたものだが、私の場合はそれらの修法に自分なりの方法を付け加えたものだ。今回は相手が息子であるということもあり、本格的に修法を施して、取り返しのつかないことになってはならない。なぜなら、魔や眷属たちを使役する修法は、車のようにいつもうまく操縦できるとは限らない。へたをすると魔たちが暴走してしまい、祈祷する相手だけでなく、周囲の人たちや私にも襲いかかってくる恐れもあるからだ。そ
れゆえご本尊は不動明王のみとして、ほかの仏神、ご眷属たちを招かないようにしなければいけない。

まずは九字を三十六回切った。魔障の一切を降伏退散させるものだ。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」

と唱えながら、刀印を結んで九字を切った。心なしか邪気が祓われてくるような気配。

それから人形をつくり、そこに、「アビラウンケン、バンウンタララキリリアク、三本文士八五水急急如津令」と、「年を経て身をさまたぐる荒見前、今は離れて本の社へ」と書き入れ、祈念をし、周囲に漂う邪気邪霊たちを人形に移した。それから人形を包んだ紙に梵字の一字を書いて封じた。

私はすぐに普段着のTシャツとジャージに着替えた。それから封じた包み紙を持ち、邪悪なものが封を破らぬように念じながら歩き、川か海にいかねばならない。ここから海は遠すぎる。川ならなるべく広く水の澄んだ清流がいい。淀んでいる川だと邪気を洗い流すのにふさわしくない。そうだ、加治川なら川幅も広いうえ、海に近い。私は加治川へと向かうことにした。

一時間も歩くと加治川で釣り人たちが竿をたらしている姿がみえてきた。気楽なものだ。
いや、彼らにもそれなりに思い悩むことがあるのだろうが。

私は土手から下に降りていき、人影のみえない草むらに姿を置いた。それから、

「川の瀬に祈り続けて払ふれば、雲の上まで神ぞ登りぬ」と唱えながら、昨日の雨でいつもより流れのはやい川面に、人形を入れた紙を流した。想像したくはなかったが、もしも、雅志が呪っていたとしたら、呪詛が返って雅志が苦しむことになるのだ。

自宅に帰り、目を閉じ、正座をして時を過ごした。

「りんりんりん......」

カルマの宣告を知らせる電話の呼び出し音だと感じられた。

「はい、樽橋です」

「丸山病院の菅谷です。樽橋南都子さんのご主人さまですか?」

一瞬、血の気が引いた。

「はい、私です。妻に、南都子になにかあったのですか?」

「はい、ついさきほど急に苦しみはじめまして、今、緊急病室に運び処置をしていますが、万が一のこともありますので至急こちらまで来られてください」

そうか、南都子だったのだ。誰かの呪詛ではなく、南都子のさまざまな思いや過去のすべてをねっとりとみられているような恐れから雅志を憎いと思いはじめて、その思いが自縄自縛となって自ずからを苦しめ、その修羅の思いが家にこもっていたのだ。その思いが私の修法によって南都子自身に返ってしまい、自分自身を苦しめることになったのだ。南都子の雅志に怯える思いがしだいに歪んできて憎悪に変化していたことは察していたが、それでもまさか、という思いだった。しかし、このままでは命までが危ない。私はとっさに、術を解く修法をした。

「オン、キリキャラ、ハラハラ、フタラン、バソツ、ソワカ」

と、三回唱え、「オン、バザラドシャコク」の陀羅尼を誦して、指をはじき鳴らす弾指をして術を解いた。

そのあと急いで病院に駆けつけると、南都子は静かな息をして、安らかな寝顔で眠っていた。

雅志はすでに四十を過ぎたが、心の傷はいまだに癒されていないようだ。雅志がお寺から出たあと、四年ほど日本各地を放浪していたようだ。戻ってきた雅志の優しげだった眼差しが、憂いに満ちたものに変わっていた。

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